Markus WinklerによるPixabayからの画像
1月1日、フリーアナウンサーの久米宏氏が81歳で肺がんのため死去した1。久米の死は、単なる著名人の訃報にとどまらず、戦後日本を支えてきた「テレビ報道の時代」の終焉を象徴する出来事でもある。
1985年に始まった『ニュースステーション』は、「中学生にもわかるニュース」を掲げ、平均視聴率14%2という異例の成功を収めた。久米の、報道を専門家の領域から大衆へと開いた功績は確かに大きい。一方で、視聴率重視の演出は、次第に番組の独立性と正確性を侵食していった。
要約
久米宏の死は、戦後日本を支えてきた「テレビ報道の時代」の終焉を象徴する出来事である。『ニュースステーション』は、ニュースを大衆に開き、高視聴率と報道の大衆化を実現した一方、演出重視・視聴率至上主義を定着させ、正確性や編集権の独立性を弱めた。
同番組は外部制作と広告・視聴率依存の構造の中で、責任の所在を曖昧にし、日本のテレビ報道を「事実よりも伝わり方を優先する」ものへと変えていった。その手法は現在、ネット空間の感情煽動型コンテンツにも引き継がれている。
久米宏は改革者であったが、同時に演出依存の報道を体現した存在でもある。彼の死を機に、日本のテレビジャーナリズムは過去を懐かしむのではなく、事実と論理に基づく報道の再構築に向き合う必要がある。
記事のポイント
- 久米宏の死とともにに『ニュースステーション』を象徴とする「演出型・視聴率主導」の日本型テレビ報道のあり方が問われている。
- 同番組は報道の大衆化に成功した一方、外注依存と商業主義により編集責任の曖昧化と正確性の低下を招いた。
- 現在求められるのは久米の功罪を踏まえ、演出依存を脱し、事実と論理を基盤とする報道体制を再構築することだ。
Summary
The death of Hiroshi Kume symbolizes the end of the “era of television news” that underpinned postwar Japan. While News Station opened news to the masses, achieving high ratings and popularizing reporting, it also entrenched a focus on production values and ratings supremacy, weakening accuracy and editorial independence.
Operating within a structure reliant on external production, advertising, and ratings, the program blurred lines of responsibility, transforming Japanese television news into something that “prioritized how information was conveyed over the facts themselves.” This approach has now been inherited by emotionally manipulative content in the online space.
Hiroshi Kume was a reformer, yet he also embodied production-dependent journalism. His passing should prompt Japanese television journalism to confront the need for rebuilding reporting grounded in facts and logic, rather than nostalgically clinging to the past.
Translated with DeepL.com (free version)

『ニュースステーション』のような外部制作委託と視聴率管理の組み合わせは責任の所在を曖昧にし、ダイオキシン報道訴訟に象徴されるさまざまな問題を生む土壌となった。同番組が行った映像の演出やBGMによる感情喚起は、やがてはテレビ報道の標準となり、結果、事実そのものよりも「どう伝わるか」が優先されるニュース番組が蔓延っていく。
久米宏が『ニュースステーション』最終回でビールを飲み干した場面3は、”間違った”テレビ報道が最も輝いていた時代の終幕を象徴していた。しかしテレビ関係者にとって必要なのは、あの時代を懐かしむことではなく、事実と論理に基づく報道を、当たり前のこととして行うことである。
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広告・制作・放送局の交錯 『ニュースステーション』が示す日本型民放報道の限界
『ニュースステーション』は、日本型報道プラットフォームの構造的特異性を最も端的に表している。同番組はテレビ朝日、制作プロダクションのオフィス・トゥー・ワン、広告代理店電通という三者の利害が交錯する形で成立しており4、編集権の独立性を重視する欧米型報道モデルとは根本的に異なる構造のもとで成立ている。
そしてこの体制は、広告ビジネスと視聴率競争を軸に発展してきた日本のテレビ産業の歴史を反映し、報道番組であってもエンターテインメント性と外注依存を前提とする制度思想を肯定した。
