最高裁第3小法廷(長嶺安政裁判長)は、国営諫早湾干拓事業(長崎県諫早市)をめぐっての潮受け堤防排水門の開門を命じた確定判決の「無力化」を国が求めた請求異議訴訟で、漁業者側の上告を退ける決定を下す。
これにより、確定判決の効力は失われたとする国側の勝訴を命じた福岡高裁判決が確定した。裁判官5人全員の一致による結論。
諫早干拓事業をめぐっては、ほかにも係争中の裁判はあるものの、開門を認めない事実上の統一判断が確定した。
判決により、国に開門と非開門の義務を課した司法判断の“ねじれ“が解消されたことで、漁業者側が求める開門の実現は困難に。
野村哲郎農林水産大臣は、2日夕方、農林水産省で記者会見し、
「良かったの一言。もう訴訟はやめていただき、話し合いを進めて豊かな海を取り戻していただきたい」
1
と語る。
一方、漁業者側弁護団の馬奈木昭雄団長は、取材班に、
「憲法に反するあり得ない結論で許し難い。有明海の再生のために闘い続ける」
2
と述べた。
諫早湾干拓事業とは
諫早湾干拓事業は、農林水産省が1950年代から“長崎大干拓構想“の一つとして、九州の有明海に面する長崎県南部の諫早湾で進めてきた干拓事業。
当初は、食糧確保のための水田開発が目的であったが、しかし全国的な“米余り“が問題になると、灌漑用水の確保や畑地の開発に変わり、1989年の着工前には、最大の目的は水害防止となる。
その姿は、「動き出したら止まらない」日本の大型公共事業の典型例ともされた。
その後も有明海の水質悪化を懸念する漁業関係者や環境保護団体からの反対の声が上がり続け、規模が縮小はされるも、計画の柱となる干拓事業は予定通りに進められた。
1997年、全長7kmに及ぶ水門(潮受堤防)により湾の奥が外海と遮断され、堤防中約3500へクタールの区域に干拓地と調整池が造成。このとき鋼鉄製の300枚近い水門が
「ギロチン」
のように海に刺さり落されていく姿がニュース映像により繰り返し流され、全国に衝撃を与える。
しかし、その後、2000年に有明海の養殖のりが記録的な凶作となり、長崎大学の東幹夫教授らから、干潟の減少による浄化機能の喪失などが原因とする調査結果が発表。
あるいは、文部科学省の科学技術振興機構も、水産業振興の妨げになった事例として、「失敗知識データベース」にリストアップする。
諫早湾干拓訴訟の争点
3当事者意識なき国 「放置国家」の成れの果て
判決により、「開門」か「非開門か」で揺れた司法の判断の”ねじれ”は解消された。とはいえ、今後、国が主導して問題の解決を目指さなければ、有明海の再生はならない。
問題は、当事者意識なき国の姿勢だ。しかしながら野村農相は、
「さらなる訴訟の乱立をもたらす事態に陥った場合、地域の分断の解消が遠のく」
と放置(法治)国家さながらに問題を”放置”する。
業業者側の生命線となっていたのが2010年の福岡高裁の判決4。判決は漁業への被害を認め、5年間の開門調査を国に命じる。当時の民主党政権は上告せず、確定した。
しかし自民党政権になり、2013年11月には長崎地裁が営農者側の訴えを認め、開門を差し止める仮処分決定を下す。そのようなか、国は
「身動きが取れない」
5
と弁解し、問題を”先送り”する。一方、国は2014年1月、確定判決の無効化を求める異議訴訟を起こした。
「開門したくない国の本音が出た」
6
と漁業者側は反発する。
訴訟と並行する形で2016年、国は有明海の再生に向けた総額100億円の漁業振興基金案を打ち出す。漁業不振のさなか、漁業団体は受け入れたものの、”地域の分断”は残った。