菅首相のわずか1年の退陣で考える、「自民党」という組織とは何なのか? ~1~ 菅政権とは何だったのか?

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像 

 

 菅義偉首相は9月3日、自民党総裁選に立候補しないことを党臨時役員会で表明し、首相も辞任する意向を示した。総裁選不出馬は、二階俊博幹事長が明らかし、自民党総裁選は、9月17日告示、29日投開票の日程で予定通り行われた。

目次

  • オリンピック開催のジンクス
  • 菅首相の1年
  • 菅政権とは何だったのか?

オリンピック開催のジンクス

 日本でオリンピックが開催された年には、首相が同じく辞任するというジンクスがある。

 今年の東京オリンピックを含め、1964年東京大会の年には池田勇人首相が、72年札幌冬季オリンピックの同年には佐藤栄作首相が、98年長野冬季オリンピック時には橋本龍太郎首相がそれぞれ大会後、年内に辞任した。

菅首相の1年

 菅総理大臣は昨年9月、体調不良により辞任した安倍晋三首相の後継を争う自民党総裁選で、岸田文雄政調会長と石破茂元幹事長を破り、第26代総裁の座に就き、その後の首班指名により第99代内閣総理大臣となった。

 実に有効投票数の7割を獲得しての圧勝であった。だが、その後に自身のモットーでもある「自助、共助、公助、そして絆」を掲げた際には、一部から反発の声が出る。

 発足当初は、スピード感を持って、素早い実行力を発揮。発足直後のNHKの世論調査では、62%の高い支持率を誇った。


 就任早々に、長年の取り組みであった携帯電話料金の値下げや、行政手続きのデジタル化などに取り組み、デジタル庁発足の道筋を開く。所信表明演説では、脱炭素社会の実現に向けて「2050年までに温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする」という、カーボンニュートラルの実現を目指すとした。

 しかし、年を明けた1月になると風向きが変わる。その原因は、新型コロナウイルスの更なる感染拡大だ。

 1月8日には、首都圏の1都3県を対象に、菅政権下での初めての緊急事態宣言が出され、対象地域はその後追加される。当初は1ヶ月間の想定であったが、期間は2度の延長を経て3月21日までの2ヶ月半に及んだ。

 また感染拡大を防ぐために、飲食店での酒類の提供停止や時短営業要請などの対策を進めるも、感染拡大抑止の決め手とはならなかった。

 ワクチン積極的な接種にも取り組んだかのように思える。1月に接種の総合調整にあたる担当閣僚に河野太郎規制改革担当相を起用。5月までに「1日100万回接種」を目指し、ワクチン接種の加速へ動く。

 その目標は6月までにはクリアできたものの、当初はワクチン接種状況においてかなりの混乱を招いた。

だが、現在の日本のワクチン接種状況を世界と比べると、中国、インド、アメリカ、ブラジルに次ぐ5番目に高い状況である。しかしワクチン接種をしても感染する「ブレイクスルー感染」などが急増し、年末に向けてさらなる感染拡大への対処などの問題も抱えての退陣となる。

 2月には、週刊文春が、CS放送最大手の東北新社に勤務する首相の長男が関与した、総務省幹部への接待問題をスクープ。国会でも追及され、首相は「長男とは別人格」としつつも謝罪。結果的に総務省の幹部らが処分されることになった。

 4月には米国を訪問し、バイデン大統領就任後初めての対面で会談する外国首脳となった。会談では、中国と対峙する姿勢を明確とし、共同声明において「台湾海峡の平和と安定の重要性を強調」と明記。

 だが、昨年の所信表明演説において、首相は「積極外交を展開していく決意だ」と宣言したものの、コロナウイルスの影響もあり、外遊は3回だけに終わる。

 同時期にはコロナウイルスの感染が再び拡大し、医療体制も逼迫、4月25日からは菅政権下では2度目となる緊急事態宣言が発令された。

 緊急事態宣言下で行われた参院の補欠選挙と再選挙、擁立を見送った北海道2区を含め、衆参3選挙で自民党は3戦全敗を喫することになる。

 7月4日投開票の都議選では、自民党の苦戦が大きく目立つ結果となった。公明党と合わせて過半数という当初の目標には届かず、都議選で結果を出しその後の衆院選へと弾みをつけるという想定が狂ってしまう。

 都議選の敗北は、コロナウイルス対応への有権者の不満が表れた結果であるといえるだろう。

 直後の12日は東京に4回目の緊急事態宣言が発令。その後対象地域も追加され、期間も五輪を挟み、9月30日まで延長。

 その東京オリンピックは、横浜市長選に出馬した小此木八郎氏をはじめ、小泉進次郎環境相、梶山弘志経産相らが「中止すべき」と進言したとされるが、菅首相は多くの会場で無観客とする形となったものの開催に固執した。

 首相は、「世界で大きな困難に直面するいまだからこそ団結し、人類の努力と英知で大会を開催できると日本から世界に発信したい」と訴えたものの、緊急事態宣言下の開催期間中、国内の感染者数は増加を続けた。8月5日には東京の新規感染確認者が5000人を超える。

 翌日6日の広島の平和記念式典のあいさつでは原稿の一部を読み飛ばし、9日の長崎の式典では遅刻してしまう。

 22日の横浜市長選では、横浜が首相のお膝元であり、全面支援した小此木氏が敗北。5日には、会見で「明かりがはっきりと見え始めている」と前向きな発言をしたものの、その直後から迷走する。

 30日〜31日にかけて、二階幹事長の交代を含む党役員人事や内閣改造の検討が表面化し、一気に流れが動いたかに見えたが、翌月の9月3日に自民党総裁選に出馬しないことを表明。

 首相は「感染拡大を防止するために専念(専任?)したい」と述べ、総裁選への出馬を見送る意向を表明した。予定していた党執行部人事の人選が困難となり、今後の政権運営の継続が難しくなったからであるとみられる。就任から1年での退任となった。

菅政権とは何だったのか?

 当初、「史上最強の仕事師内閣」とまで呼ばれた菅政権は、上々の船出を切っていた。発足1年でデジタル庁を創設し、SDGsが世界で叫ばれる中で、国内の温室効果ガスの排出を2050年までに実質ゼロにするという、「カーボンニュートラル」を公言。

 保守的な安倍政権とは対称的なリベラルも掲げ、最低賃金の引き上げ、不妊治療の助成制度の拡充など若年層に特化した政策も進めた。

 他方で、就任当初の「パンケーキ」に始まり、鬼滅の刃の「全集中」や「ガース」発言など、イメージ戦略はことごとく失敗に終わった。とくに政権末期に至っては、広報戦略はほとんど行われなくなった。

 小泉元首相のオペラ鑑賞や安倍前首相のソフトパワー戦略と比べると、目もあてられないほど何も行っていたかった。

 あるいは、小泉政権下での郵政民営化における「抵抗勢力」や「韓国」「左翼」を仮想敵視して、自分の支持基盤を固めるような戦略も一切、行ってこなかった。

 一方で、相次いだ不祥事にはまともに語ろうとせず、「何も自分の言葉で語らない」姿勢は、もはや芸風の域さえ見受けられる。

 無論、菅政権が安倍政権に続き、新型コロナウイルス対策に翻弄されたことはいうまでもない。

 各種マスメディアの世論調査をつぶさに分析すると、感染拡大に不安を抱く国民は、政府に強い移動制限を実施するよう望んでいた。

 しかし、「Go To トラベル」を昨年末まで続け、もはや「賭け」ともいえる東京オリンピック・パラリンピックを実施した結果、爆発的な感染拡大を招き、内閣支持率を大きく下げる結果をもたらし、菅首相の賭けは失敗に終わる。

 そもそも、菅首相の一つの信念である「自助」の重視が、一連の新型コロナウイルス対策の失敗であることを指摘しなければならない。

 たとえば「自助」として、コロナ中等症患者の自宅療養者を軽視した結果、その患者をケアする家族への配慮が明らかに欠けていた。

 日本の社会構造上、家族をケアするのは圧倒的に女性が多く、その女性ほど大きな感染リスクを抱え、仕事にも出勤することができない状況にある。

 さらにいえば、女性ほど非正規労働者が多く、さらにこのコロナ禍でより経済的に厳しくなった。

 だからこそ、「自助」ではなく「公助」がより必要なのに、それを重視しない首相であるのならば、支持率が低下しても当然のことであろう。

 ところで、前任者となった安倍首相とは、どこが違ったのだろうか。

 安倍政権時代は一つのチームとして強固な下支えがあった。たとえば今井尚弥首相補佐官(当時)のように政権の政策を一つのパッケージとして明確にまとめた上で、個々に「1億総括社会」などのキャッチフレージを付け、最後に首相が国民に内閣の方向性を伝える役割が機能していた。

 しかし、菅首相は必要な調整を行い、官僚を動かそうとはしなかった。首相の役割とは、内閣全体の方針を決め、さまざまな政策案に耳を傾けた上で最終判断を決定し、その政策の主眼を丁寧に国民に発信する役割が求められる。

 それとともに、支持率を常に気にしながら取り組む政策に優先順位を付けるということもしなければならないが、その優先順位の決定の仕方がまずかった。

 それは、国民が菅政権の1年間の中で一貫して新型コロナウイルス対策を求める中で、携帯電話料金の引き上げやデジタル庁の発足、東京五輪・パラリンピックを強行するなど、自身が思い描いた政策に固執するあまり起こってしまったことだろう。   

 安倍、菅政権時代に共通することは、内閣において首相に権力を集中させた結果、民主党政権時代から問われ続けてきた「政治主導」による政権執行能力が、むしろ大幅に低下したことだ。

 その原因は、能力が高くない政治家と、「官邸官僚」とも呼ばれる出身省庁では出世争いに敗れたものの、政治家に擦り寄ることで絶対的な権力を手にした官僚とが、自分が所属する省庁よりも上に君臨することによりもたらされたものである。

 しかし実際にはそのような官邸官僚の多くは、そもそも出世争いに敗れたことからも分かるように自身の能力も決して高くはない。

 そのため、官邸官僚の導き出す施策はどれも場当たり的だったり、整合性が取れておらず、有効性・実効性があるものではないのだ。

 だが、そのような官邸官僚とはいえ、背後には首相がおり、もはや各省庁の事務次官とも、その影響力の及ばない「聖域」となってしまったのだ。

 その菅首相も、従来から残る既得権益には一切切り込まなかったのはいうに及ばず。このことが安倍・菅と続く自民党政権のコロナ対策の失敗につながった。

 たとえば前政権の安倍首相がコロナ感染に先駆けて、国や都道府県が民間病院や医師会に病床確保を指示できるような関連法の整備に踏み出していれば、今回の感染拡大の対策につながったはずだが、安倍政権は手を何の対策も打たず辞めてしまった。

 菅政権になっても、このことは続く。