アフガニスタンは今どうなっている? アフガニスタンの歴史 タリバンとは? 飢餓 女性差別 臓器売買

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David MarkによるPixabayからの画像

 武装勢力「タリバン」が再び政権を掌握し、アフガニスタンは2度目の冬を迎えている。アフガニスタンでは現在、数百万人もの人が飢饉一歩手前の状態にあるという。

  飢えに苦しむ子どもたちを寝かせつけるために、薬を与えている人もいる1

 「子供たちはずっと泣いていて、眠らない。食べ物がない」と、アブドゥル・ワハブさんは言う。
 
 「なので薬局に行って錠剤をもらい、子供たちに与えている。眠くなるように」

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 どれくらいの人が、子供に鎮静剤を与えているのか質問すると、男性たちは「たくさんだ、全員だ」と答えた。
 
 錠剤のシートを取り出した。それは通常、不安障害に処方される抗不安薬「アルプラゾラム」だった。
 
 ハズラトさんには6人の子供がいる。最年少は1歳だが、「その子にも飲ませている」と、ハズラトさんは言った。
 
 同じように、子供に与えていると言って、抗うつ薬の「エスシタロプラム」や「セルトラリン」の錠剤を見せる人もいた。
 

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 しかしながら、医師によると、こうした薬を栄養が不足している子どもに服用させると肝臓に影響を与えるほか、慢性的な倦怠感や睡眠障害などを与えるという。

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アフガニスタンの歴史


 アフガニスタンでは、19世紀から紛争が続く。これらの紛争は、19世紀から20世初頭にかけて行われた「アフガニスタン戦争」と、20世紀後半から現在までつづく「アフガニスタン紛争」とに分けられる。

  アフガニスタン戦争は、イギリスとの間に起きた。1838年から1842年、1878年から1881年、そして1919年と3回にわたって争われる。

  第一次と第二次のアフガニスタン戦争は、19世紀に「南下政策」を推進するロシアと、これを阻止しようとするイギリスとの間で繰り広げられた。

  イギリスは重要な植民地であるインドにロシアの影響力が及びことを警戒し、まずアフガニスタンは保護国にしようとする。結果、第二次アフガニスタン戦争により、イギリスはアフガニスタンを保護国とした。

  第三次アフガニスタン戦争は、第一次世界大戦の終結後、独立を試みようとしたアフガニスタンが、イギリス領のインドに攻めこんだもの。

  一方のアフガニスタン紛争は、1978年から断続的につづいている。

  第一次アフガニススタン紛争は、共産主義政党であるアフガニスタン人民民主党政権に対し、反乱勢力が蜂起したことにより始まる。1979年にはソ連が軍事介入し、1989年に撤退した。

  第二次アフガニスタン紛争は、ソ連が撤退したあとの内戦と、タリバンの政権掌握を指す。第三次アフガニスタン戦争は、2001年9月11日のアメリカで同時多発テロ以後のことだ。

 タリバンとは?

 
 タリバンは、もともとはイスラム教の神学校である「マサドラ」で学んだ学生が中心となり結成された組織。マドラサで学んだ学生はアラビア語で「タリブ」と呼ばれ、現地のパシュトゥー語の複数形が「タリバン」。

  自ら名乗ったのではなく、勢力を拡大していくうちにメディアなどを通じて「タリバン」という呼び方が定着していく3

  タリバンが結成されたのは1994年であるが、その由来は冷戦時代まで遡る。

 1978年にクーデターで成立した共産党政権の路線対立により、アフガニスタンは勢力圏を離れることを警戒した旧ソ連がアフガニスタンに軍事介入、自らの後ろ盾となる政権を樹立させる。

  しかしながら、急速な共産主義化がすすめられたため、「ムジャヒディン」と呼ばれるイスラム勢力が抵抗を始めた。

 そこに旧ソビエトと対立していたアメリカなどの西側諸国と隣国であるパキスタンの支援を受けて、旧ソ連は1989年に撤退に追い込まれる。

  一方、欧米諸国はその後、アフガニスタンから目をそらす。しかし、アフガニスタンではその後も内戦状態が続いた。アフガニスタンはいわば、国際社会から見捨てられた国となった。

 そのような中で生まれたのがタリバンである。 

現状 飢餓 女性差別 臓器密売


 アフガニスタンの現場はどうなっているのだろうか。

  第一に、アフガニスタンでは長引く干ばつと食料価格の高騰、あるいは失業により、2500万人の人が貧困状態に。

  結果、人々の収入の4分の3が食費に費やされ、600万人が食料不足に陥り、100万人の子どもが深刻な栄養不良に直面している。

 女性の権利はどうか。昨年5月に、イスラム教徒の女性が人前で髪を隠すのに用いるスカーフ「ヒジャブ」の着用に関する指針を発表、家族以外の男性の前では目だけを出し、顔を覆うよう義務付けた。

  さらに特段の理由がない限り、女性は家にいた方が良いとする方針を打ち出す4

  一方、20年前まではすべての女性に対し禁止していた教育については、タリバン政権は大学に限り、校舎で学ぶ時間帯を男子と女性とで分けるなどし、再開した。

 しかし、日本の中学校と高校にあたる中等教育の学校では、女子生徒は自宅待機を命じられた。

  最後に、最近、アフガニスタンでは貧困を逃れるために臓器の売買に乗り出す人もいる。

 臓器売買はタリバンが政権を掌握する前から起きていた話しであったとはいえ、女性が腎臓を売って24万アフガニ(約37万円)を得る5という現実がそこにはある。

  1. ヨギタ・リマエ「飢える子供に鎮静剤、臓器や娘を売買……飢饉が襲うアフガニスタンの現状」BBC NEWS JAPAN、2022年11月16日、https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-63752789
  2. ヨギタ・リマエ、2022年11月16日
  3. 北井元気「タリバンってそもそも何? 専門家に聞く」NHK 国際ニュースナビ、2022年8月15日、https://www3.nhk.or.jp/news/special/international_news_navi/articles/qa/2022/08/15/24509.html
  4. 北井元気「タリバン復権1年 女性の教育は?人権は?アフガニスタンの今」NHK、2022年8月15日、https://www3.nhk.or.jp/news/special/international_news_navi/articles/qa/2022/08/15/24522.html
  5. ヨギタ・リマエ、2022年11月26日
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