コロナ渦のオリンピック 開催の是非 スポーツと体育 断絶を生み出すもの ~2~ 医療とスポーツとの断絶が顕著になった東京大会

ジェンダー
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Viktar MasalovichによるPixabayからの画像 

 今回の東京大会においては、やはり新型コロナウイルス感染まん延の影響か出てしまった。6月にメキシコで開かれた野球最終予選では、新型コロナを理由に台湾やオーストラリアなどの3チームが参加を取りやめた。

 日本の酷暑の影響も。開催地を札幌に変更されたマラソンにおいても、男子では途中棄権が3割に及んだ。そもそも、EU諸国のエアコンの普及率は5%に過ぎず、ヨーロッパの選手団にとってみれば、日本の真夏の暑さは異次元の世界だっただろう。

 一方で、選手からは無責任なスポーツ至上主義的な言葉も出た。このような発言が出る背景には、日頃から身近な存在として、そして今も日々、最前線で戦う医療従事者と、「選ばれた」ひと握りの優秀なトップアスリートとの違いを、当のオリンピック選手が自覚していないからだろう。

前回までの記事

コロナ渦のオリンピック 開催の是非 スポーツと体育 断絶を生み出すもの ~1~ 議論を呼んだ開会式を振り返る

目次

  • 2020年東京大会コンセプト
  • 吉田麻也の発言
  • オリンピック選手がスポーツを始めるときの動機
  • 減り続ける日本のスポーツ人口

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2020年東京大会コンセプト


 あまり報道されていないが、東京大会では、3つの大会コンセプトを掲げてあった。「すべての人が自己ベストを目指し(全員が自己ベスト)」「一人ひとりが互いに認め合い(多様性と調和)、「そして、未来につなげよう(未来への継承)」だ。だが今のところ、そのどれもが達成されそうにない。

全員が自己ベスト


 コロナ禍によって、アスリートが置かれた環境も大きく変わった。それはオリンピックにおいても、如実にあらわれている。

 ボクシングは、今年6月にパリで開催される予定だった世界最終予選が中止され、五輪代表は国際ランキングによって割り当てられた。そのため、最終予選での出場権獲得を目指していた日本勢5人は、全員が除外される。「全員が自己ベスト」どころか、その舞台にすら立てなかった。

 東京で5月に開かれた水泳飛び込みの最終予選では、感染状況を危惧したオーストラリアが出場を見送った。

 6月にメキシコで開かれた野球最終予選では、やはり新型コロナを理由に台湾やオーストラリアなどの3チームが参加を取りやめた。

 そもそも、これまでの大会では出場選手が開催国で大会前に合宿を行い、時差や気候に体を慣らし、本番に備える調整が一般的だ。しかし、東京大会では、各国の選手の調整が困難になってきている。

 オリンピック・パラリンピックで事前合宿の受け入れを検討していた日本全国の545自治体のうち、182の自治体が受け入れの中止を表明した。医療体制の懸念から自治体から中止を決めたり、選手団側から断りが来たケースもあった。そのため、事前合宿ができない国の選手やチームは、大会直前に来日をせねばならない。

 他方、当の開催国である日本の選手らは、東京の味の素トレーニングセンターで直前まで練習を続けることができた。この点において、「母国開催」におけるアドバンテージは、通常の大会よりも大きい。

 さらにいえば、大会招致時に東京の「温暖な気候」をアピールしていたのにもかかわらず、それが大ウソであることがバレた。

 大会期間中は連日、厳しい暑さが続く中で、屋外で行われる競技の選手からは、猛烈な暑さに対する抗議の声が相次ぎ、たとえばテニスは日中の試合の開始時間を遅らせる対応が取られた。

 開催地を札幌に変更されたマラソンにおいても、男子では途中棄権が3割に及んだ。懸念された気温は30度を超えなかったが、それでも湿度がスタート時には80%あったかのが一因と思われる。

 そもそも、EU諸国のエアコンの普及率は5%に過ぎず、とくにヨーロッパの選手団にとってみれば、日本の真夏の暑さは異次元の世界だっただろう。

多様性と調和

 多様性と調和については、開会式において旗手を務めた八村塁選手、聖火リレーの最終走者となった大坂なおみ選手をはじめ、男子テニスのダニエル太郎、母親が日本人で父親がアメリカ人の男子柔道100キロ級で金メダルを獲得したウルフ・アロン選手が注目を浴びた。

 しかし、大坂選手が3回戦で敗退するとSNS上では、「日本を代表する資格がない」などという趣旨の批判の書き込みが相次いだ。

 開会式の中継では、手話通訳が放送されなったことについて疑問の声があった。スタジアムには手話通訳者いたものの、放送用ではあくまで会場用だとして、手話通訳者がテレビで映し出されることはなかった。

 中継するNHKも、自社で手話通訳者を手配することはなかった。韓国や台湾、カナダなどでの中継では、手話通訳がワイプで表示されていたにもかかわらず、だ。

 こうした状況を受け、全日本ろうあ連盟やコミュニケーションバリアの解消に取り組むNPO法人インフォメーションギャップバスター(IGB)や手話推進議員連盟などは要望書を出し、その結果、閉会式を中継するNHKは、Eテレで手話通訳を入れて放送することを決めた。パラリンピック開閉会式においても全編で手話をつけることを検討するという。

 それでも、良かった点は今回の大会において、水泳や柔道、卓球などの競技において、男女混合種目が設けられたことだろう。

 しかし、大会の細かい「ルール」(規則)の点においては、幾多の課題が見えた。

 たとえば、国際水泳連盟は、黒人選手のアフロヘアのためにデザインされた水泳キャップを許可しなかった。また、母親であるアスリートたちは、オリンピックの規則のために、試合中に子どもに授乳するのに苦労しているという。

 あるいはオリンピック選考会では、アメリカ最速の女性であるシャカリ・リチャードソン選手が、大麻の陽性反応が出て失格となり、アメリカ国内で大きな議論を呼んだ。

  彼女が大麻を使用したオレゴン州では大麻は合法であり、当時彼女は母親が亡くなった直後で、苦しい精神状態から大麻を使用したと丁寧に説明したが、その決定は覆ることはなかった。

 ノルウェーのビーチハンドボールチームがビキニボトムを着用しなかったため罰金の処分を受けたり、ドイツの体操女子チームはレオタードを着用せず全身ボディスーツを着用したりするなど、ジェンダーに関する規則は、今後も検討課題だ。    

 そもそもオリンピックの「親玉」であるIOC自体が、最も多様性に欠ける。歴代の会長は欧州出身者8名、アメリカ1人でそれ以外の地域の出身者はいない。

 IOC委員も地域別に見てみると、欧州45人、アジア23人、米州18人、アフリカ12人、オセアニア6人で、やはり、「欧州貴族」というイメージが色濃く残る。

 ジェンダーバランスも、男性82人に対し、女性22人と、いまだ男社会だ。そもそも、近代五輪創立者クーベルタンが、女性選手のオリンピックに反対していた。

未来への継承

 「未来への継承」についても、早々と黄色信号が付いている。メインスタジアムとなる国立競技場は、大会後の利用方針が定まっていない。

 政府は2017年11月、大会後に陸上トラックを撤去して観客席を増設し、サッカーのワールドカップ開催に対応できる約8万人規模に拡大する計画を発表。サッカーのみならず、ラグビーやコンサートなどで積極的に活用する方針を示した。

 しかし昨年10月、世界陸連のコー会長が来日し、25年の世界陸連の東京開催が提案され、陸上トラックを残す方針に改められた。だが年間24億円かかるとさされる維持費を、今後将来にわたり確実に確保できるかは不透明だ。

復興五輪

 最も議論されなければならないのは、大会前の最大の象徴でもあった「復興五輪」という言葉が、期間中、一切報じられなかったことだ。

 文春オンラインの取材によれば、IOCは以前から「世界で困っているのは東北だけでない。特定の震災を限定的にするのは許されない」と指摘していたという。確かに、それはIOCの言う通りだ。その一方、東北の人々も納得はしないだろう。

 しかし、「普遍性」も求められる五輪において、IOC側に十分な説明もせずにただ、「復興五輪」という言葉だけは押し出してきた、組織委やマスメディア、あるいは市民側も十分な議論をしなければならない事項であったことは確かだ。

吉田麻也の発言

 一方で明らかに疑問を抱くのはスポーツ史上主義的な言説が、日本選手に相次いだことだ。とくに男子サッカー代表吉田麻也選手の発言は、問題がある。

 吉田選手は7月17日、オンライン会見において、試合が無観客での開催になったことについて、

真剣にもう一度検討していただきたいと心から思っています

と有観客での開催を改めて訴え、さらに

 国民の税金をたくさん使って、その国民が見にいけない。選手も毎日、命懸けで戦っている。その家族だって一緒に戦ってくれている。その人たちも見られないのはクエスチョンです

 ソーシャルワーカーの方々が毎日命かけて戦ってくれていることは重々理解しているし、五輪がやれるということに感謝しなきゃいけない立場にあるのは理解しています。

 けど、忘れないでほしいのは、選手たちもサッカーに限らず毎日命懸けで人生かけて戦っているからこそ、ここに立てている選手ばかりです。人生かけている選手ばかりだし、この五輪にかけている選手は山ほどいると思います。だからそのためにも、なんとかもう一度考えてほしいなと。

と語った。

 しかしである。ソーシャルワーカーや医療従事者たちは、本当に「命の危険」にさらされながら、毎日戦っている。新型コロナウイルスの感染リスクは、それこそサッカー選手以上にあるし、感染者のために長時間労働が続き、労働時間からくる命の危険もあるだろう。

 それと比べ、サッカーにおける「命の危険」は別物だ。酷暑の中での試合を行うリスクなら、それこそ真夏に試合をしなければ良いし、最近ではヘディングの際の脳震盪の問題も、サッカーにおける特有のルールや安全性の問題だ。

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