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1965年、「東京都議会黒い霧事件」とも呼ばれる、都議による大規模な汚職事件を原因とした出直し都議選が7月に行われ、以降は、都議選は統一地方選から外れ、7月に行われるようになった。
そのため、この都議選と参院選とが同一の年に行われる場合、都議選が参院選の前哨戦という位置づけになり、各政党が都議選においても国政選挙並みの力を入れるようになった。
前回までの記事
7月4日東京都議選 まとめ ~1~ 各政党はどんな公約を発表したのか? 選挙情勢の振り返り
目次
- 東京都議選とは?
- 東京都議会黒い霧事件
- 過去の都議選の結果
- 東京都とは
- 東京都制
- 特別区制度
- オリンピックの後始末
- 今回の都議選の結果が政局に与える影響
- 東京都の課題
東京都議選とは?
東京都議会議員選挙は、東京都議会を構成する東京都議会議員を選出するための選挙である。一つの地方自治体の議会選挙に過ぎないが、日本の首都・東京における大きな選挙であることは確かだ。実際、その結果は、直近の政治情勢を著しく反映してきた。
そもそも、議員任期が満了する4年ごとに各地で行われる4月に、統一地方選挙の一環として行われきた。しかし、1965年、「東京都議会黒い霧事件」とも呼ばれる、都議による大規模な汚職事件を原因とした出直し都議選が7月に行われ、以降は、都議選は統一地方選から外れ、7月に行われるようになった。
これにより、1965年以降、第7回参議院議員通常選挙も行われ、これ以降、3年周期の参院選と4年周期の都議選とが、12年ごとに重複するようになった。そのため、この都議選と参院選とが同一の年に行われる場合、都議選が参院選の前哨戦という位置づけになり、各政党が都議選においても国政選挙並みの力を入れるようになった。
東京都議会黒い霧事件
1960年代当時、一般の都議会議員の報酬は月16万円であった。これに対し、都議会議長の報酬は月24万円で、これに年間の交際費2000万円が加わり、さらにそれが不足すれば議会の予備費から持ち出すこともできた。
また都議会の議長は自動的に全国都道府県議会議長会の議長になることができ、任期中に一か月間の外遊もすることができた。そのため都議会議長の座をめぐり、都議会の過半数を占める自民党内で賄賂が飛び交っていた。
1965年3月9日に行われた東京都議会議長選挙に3人の自民党候補が立候補し、議長が決まった。しかし3月15日に賄賂を送った者が逮捕されたものを皮切りに、4月16日には現職議長が逮捕された。結果的に15人と都議が起訴される。
このような保守政治家が絡む一連の不祥事に、都民は大きな不信感を持ち、それとともに都議会の解散を求めるリコール運動が、都内各地で進められた。同時に、地方議員の4分の3以上の者が出席し、その5分の4以上の者が賛成すれば議会を自主解散できるという「地方議会解散特例法」が6月1日に国会で成立すると、6月3日には都議会が議決を得て自主解散した。
都議選が、全国で行われる統一地方選挙と2年ずれて行われるのは、このときの解散のためである。
あらためて行われた1965年7月14日の東京都議会議員選挙では、社会党は45議席(前回32議席)を獲得して第一党なり、自民党は38議席(前回69議席)と議席を減らして、第2党に転落、保革勢力が逆転することになる。これにより社会党の新たな都議会議長が選出され、2年後の1967年4月に美濃部亮吉の革新知事が誕生するきっかけを作った。
過去の都議選の結果
1950年年代までは、自民党と社会党の二大政党が議席のほとんどを占めていた。しかし1963年の都議選で公明党の前身にあたる公明政治連盟が議席を確保、1965年の出直し都議選では、日本共産党が躍進する。以後、複数の政党が議席を伸ばすなど多党化が進んだ。
2000年代に入ると、社民党が社会党時代から維持してきた議席をすべて失い、共産党が躍進、民主党は第四党に転落した。
前回の2017年の都議選では、小池百合子都知事率いる「都民ファーストの会」が大躍進し、自民党から都議会第一党の座を奪取した。また公明党と生活者ネットと選挙協力を行い、小池都知事を支持する勢力が半数を超えた。
他方、自民党は23議席に終わり、民主党が圧勝した2009年の都議選時確保した38議席を大幅に下回る、過去最低の大惨敗を記憶する。
共産党は、安倍政権と小池都政のどちらにも反対する票をある程度を獲得し議席を伸ばしたが、民進党と日本維新の会は、「都民ファーストの会 VS 自民党」の対決の構図のなかで埋没する結果となり、維新は改選前と変わらずの1議席、民進党は2013年の7議席から2議席減らし5議席となり、旧民主党結党以来の最低だった2013年の15議席を大きく下回った。