阪神・淡路大震災から27年 しかし、神戸・新長田地区では「復興災害」との声も 現地で何が起こっている?

地域
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jacqueline macouによるPixabayからの画像

 阪神・淡路大震災から1月17日で、27年が経過した。1995年の地震発生後、しかしわずか2カ月後に神戸市は、JR新長田駅前の再開発計画を決定する。

 結果、下町情緒あふれる街並みは、現在では高層ビルが立ち並ぶエリアへと変貌した。

 しかしながら、街の賑わいと活気は戻らず、住民からは「逆に住みにくい街になった」との声も。実際、昨年の大みそかに長田区にある「ダイエーグルメシティ新長田店」が閉店した。

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 前身のダイエー西神戸店は1961年に開業、しかし震災で倒壊する。だが、わずか5カ月後の6月から仮設の商店街で営業を開始、被災者の生活を支える。その後、新しくできたビルに移転したが、売り上げは低迷。昨年をもって閉店。

 震災時、JR新長田駅の南側で火の手が上がる。神戸市長田区は1万5000棟以上の建物が全壊、5000棟近くが火災により全焼するなど、この地区は神戸市内でもとくに大きな被害が出た地域であった。

 しかし、神戸市は混乱のなか、わずか2カ月後に、新長田駅の南側20ヘクタールの復興に向けた都市計画をとりまとめる。現在では巨大なビルが立ち並ぶ再開発エリアとなる。

 再開発事業は来年にはすべて完了する見通しであり、完璧な復興を遂げたかのように見える。だが、実際は違っていた。

 神戸市は2020年12月、新長田地区の再開発事業の検証結果をまとめ、「326億円以上の赤字」という数字を公表した。

 再開発エリアでは、合計42棟ものビルが建設されたものの、震災前の地権者のうち、戻ってきたのは半分ほどにとどまっており、また神戸市が保有する区画の38%がいまだ売れ残っている。

 この状況を、兵庫県震災復興研究センターの出口俊一さんは、「復興災害」という言葉で表す。しかし、市は「生活再建という目的は達成された」と結論づけた。

 復興の過程で、何が起こっていたのか。

京都府立大学 広原盛明名誉教授(元学長⦆

 みんなが入って、テナントがどんどん先を争って、繁盛したら何も問題ないという、そういう意識がものすごく強かったと思う。

1級建築士 竹山清明さん

 民間が経営するつもりでやったらもっと違う計画を作っていたはず。

2022年1月14日放送 MBSテレビ「よんチャンTV」

 そもそも、震災の6年前、1989年に神戸市はもともと下町情緒あふれる新長田地区を再整備する計画があり、復興の名のもとに高層ビルが立ち並ぶ、現在のような計画が強行されたのではないかと指摘されている。

 前述した大みそかに閉店したスーパーが入っていたビルも、周辺のビルは地下道やデッキで結ばれ、一見すると便利がよさそうに見えるが、人はまばらだ。シャッターだけが目立つ。

 さらに再開発ビルの管理コストも、重くのしかかる。再開発ビルは、震災により全焼した大正筋商店街をはさむ形で建てられた。

 だが震災前の商店街は大勢の人が行き交い活気にあふれていたが、今は人の流れが減ったばかりか、ビルと一体となったことで震災前にはなかった共用部の管理コストが入居者に重くのしかかっている。

 再開発事業を検証した出口さんらの1年の活動は、書籍「つなぐ思い」として、今年2月から書店に並ぶ予定だ。

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