東日本大震災から11年 「避難所か体育館」というガラパゴス 今こそ、世界水準の防災対策を!

Angelo GiordanoによるPixabayからの画像

 2011年の東日本大震災から、3月11日で11年が経過した。被災者のご冥福を祈るとともに、今一度、日本の災害対応の“脆弱さ”を問わなければならない。

 
そもそも日本では、大規模な災害が起こると学校の体育館が避難所に転用されることが当たり前だが、そんなものは、世界の当たり前ではない。世界から見たら、「クレイジー」だ。まさに、日本の当たり前は世界の非常識。日本は、災害対策の側面においても、“ガラパゴス化”している。


 まず、災害が発生した段階で、体育館に雑魚寝など、基本的に世界ではありえない。たとえば、日本と同じく地震が多いイタリアでは、初期避難の段階で、世帯単位でテントに入る。体育館などプライバシーが保てない雑魚寝など、ない。


 日本では、このような”世界水準”の災害対策が周知されておらず、当たり前のように体育館に避難するという行為が繰り返される。 あるいは、近年では車中泊という手段をとる人も増えた。


 しかし、その結果、本来、災害で助かったのになお、その後に犠牲となってしまう「災害関連死」という人々を生む。日本では、「避難所の生活を改善すると、被災者の自立が遅れる」という、まことしやかな時代遅れの根性論がまかり通っているが、そんなものは世界には存在しない。


 さて世界では、どんな災害対策が取られているのだろうか。

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イタリアの場合

 「LORO 欲望のイタリア」という2019年11月に日本公開されたイタリア映画がある。「グレート・ビューティー 追憶のローマ」「グランドフィナーレ」などのイタリアの巨匠パオロ・ソレンティーノ監督が、政治家・実業家として知られるイタリアの元首相シルビオ・ベルルスコーニをモデルにした映画だ。


 途中、映画のなかで地震のシーンがある。注目すべきは、震災後の避難場所。日本では考えられないほど、充実しているのだ。広場に大型のテントが並び、高さは歩いて人が入れるほど屋根が高い。それが、被災した家族ごとに割り当てられる。カーペットも敷かれ、人数分の冷暖房装置も整備されている。


 さらに、トイレやシャワーは移動式のコンテナでスタッフにより清潔に保たれている。食事も、食堂として巨大なテントのキッチンコンテナで調理したばかりの暖かい食事が提供される。日本のような、「非常食」などはない。


 日本のような、「体育館で雑魚寝」とは程遠い姿がそこにある。映画とはいえ、このような災害における対応は現実の姿だ。

「避難所が体育館」というガラパゴス

  日本はよく災害大国といわれるが、しかし避難所の運営という側面でいえば、米国や欧州の方がはるかに先を行く。避難所は、被災したすべての人が安心し、健康的に暮らせ、かつ生活の再建に向けて動く場所。そのような視点が、基本的に世界では共有されている。


 イタリアも日本と同様、災害が多い国で地震だけでなく、山火事や水害もたびたび起きる。米国も、毎年のようにハリケーンや竜巻に襲われる。そのようななか、世界では時代を経て、避難所の環境改善など災害対策が進んだ。


 具体的には、イタリアでは全人口の0.5%にあたる人たちに向け、必要なテント、キッチン、トイレ、ベッドの備蓄が進んでいる。10年以内に津波をともなう地震が起きるとされるシチリアでは、この数を今後、3%にまで増やす予定だ。


 さらにイタリアでは災害が発生すると、政府から州の市民保護局に対し、72時間以内に避難所を設置するよう指令が来る。


 ただし、指令を受けるのは、日本のような現実に被災した自治体の市民保護局ではなく、周辺で被害を免れた自治体の保護局であるということ。


 日本では、被災した自治体の職員が避難所に寝泊まりして、管理、運営をすることが当たり前となっている。ただ、被災した自治体の職員自身も”被災者”である。このことを忘れてはならない。

非常食

 「非常食」というものも、もはや世界では時代遅れだ。欧米では、非常食ではなく被災者に温かい食事を提供するというのが、スタンダード。 巨大なテントで食堂を作り、キッチンコンテナで調理したばかりの料理を届ける。


 ところが日本では、避難所で被災者が並び、おにぎりや弁当を受け取るというものが一般的。しかし、それは世界では”当たり前“ではない。


 たとえば、2018年に発生した西日本豪雨では、避難は4カ月に及び、避難所よっては朝に冷たいおにぎり、お昼に菓子パンということもあった。


 そもそも日本では内閣府による「災害救助法による救助の程度、方法及び期間並びに実費弁償の基準」により、災害時には、飢餓にならないための最低限の炭水化物であればよいと認識されている。


 しかしイタリアではボランティア団体が実際に調理をし、キッチンカーが各地に配備され、常に温かく美味しい食事を提供する体制が取られている。


 このようなキッチンカーは1台につき、およそ1時間で1000食を提供することができるという。食事をする場所についても、100人規模のテントの中に机が並べられてある。

3000億円もの災害関連国家予算

 災害関連における国家予算の規模も違う。日本には、災害関連についての専門省庁が存在しない。だからこそ、いつも災害の発生後に補正予算を付けて対応せざるを得ない。


 一方、イタリアでは40年前に災害対策を専門に担う、市民保護庁が発足。災害関連の国家予算は3000億円。この予算で、テントやトイレ、キッチンカーを備蓄し、また搬送用のトレーラーやトラックのメンテナンスまで行っている。


 ただ、イタリアも40年前までは日本のように、災害支援については市町村に丸投げの状態が続いていた。ところが、1980年に3000人もの人々が亡くなるイルピニア大地震が発生。災害対応の遅れとともに1万人もの人が避難生活を強いられた。


 しかし避難生活のなかで、何らかの病気をし、あるいは亡くなる人も出た。その反省から、イタリアでは「市民保護庁」が誕生する。


 またイタリアでは、市民が自身の日頃の職業を活かし災害支援を行う「職能支援者」というものもある。彼らが、災害が起きると、被災地での調理や運転手などの業務の担い手となる。


 職能支援者となる人は、あらかじめ災害時の対応訓練を受けて国に登録、災害が発生すると最大7日間の給与や交通費、保険が支給・保証され、被災地へと派遣される。このような職能支援者はイタリア全土に300万人存在するという。

スフィア基準


 「避難所が体育館」という、日本の脆弱な災害対応の在り方を改める手段は存在する。日本においても、「スフィア基準」というものを徹底的に導入させることだ。


 スフィア基準とは、災害や紛争など被災者すべてに対する人道支援活動を行う機関や個人個人が「被災当事者」であるという意識をもち、被災現場で守るべき最低基準のこと。正式名称は、「人道憲章と人道対応に関する最低基準」という。


 これは、1994年のルワンダ大虐殺を機に生まれた。当時、アフリカのルワンダでは、100日間の間に50万~100万人、実に人口の10%から20%が亡くなったとされる。

 
 その後、国連や国際NGOが支援活動にあたる。ところが、支援後も8万人以上もの死者が生まれた。いわば、「災害関連死」だ。


 支援に入ったというのに、なぜのちに8万人もの人が亡くなってしまったのか。関係団体が調査すると、支援が「場当たり的」で「調整不足」、「説明不足」であったという。


 これらの課題を解決するための手段として誕生したのが、このスフィア基準だ。日本でよく知られるスフィア基準のひとつとして、「男女のトイレの数3:1」というものがある。


 ただし、これはあくまで基本理念であり、「すべての基準・指標に合致することに固執しない」ことも避難所の運営については必要となってくる。


 ただ、これだけの”災害多発地域”日本において、「スフィア基準」というものが社会に浸透していないのは、明らかに行政的怠慢でもある。一気にスフィア基準をクリアさせるのも手立てだろう。

世界の防災・減災対策

 世界でも、日本と同じように防災・減災対策が進んでいる。たとえば、日本には防災にちなんだ言葉として「おはし」や「おかし」という言葉がある。それは、

お(押さない)、

は(走らない)、か(かけない)

し(喋らない)

というもの。


 米国にも同じような災害の合言葉があり、「Stop Drop and Roll(ストップ・ドロップ・アンド・ロール」というものだ。それぞれ、

Stop(止まって)

Drop (倒れて)

Roll(転がって)

を意味する。このような米国の言葉は、第一に火災の危険性を最優先に考えたもの。

 
 また、日本の避難訓練では応急処置の仕方などまでは踏み込んで行われないが、米国ではけが人が発生した際の応急処置の仕方まで訓練するという。

 
 一方、米国でとくに地震の多いカリフォルニア州では、活断層が実際に存在する場所では、断層から一定距離、建築物を建ててならないという「活断層法」ともいうべき法律が制定されている。


 日本よりも、土地が広い国だからこそできる法律でもあるが、日本でも実際に活断層の危険性が想定されているなか、まったく議論をスルーという状況は危険が伴う。


”災害ボケ”した日本人


 日本には”平和ボケ”という言葉があるが、しかし実際には”災害ボケ”がより深刻だ。 毎年のように発生する災害に手がいっぱいで、”持続可能な”災害対策が取れていない。

 
 あるいは、災害が多発するたびに、いつの間にか”日本の災害対応が世界一”であると刷り込まれ、または「避難所の生活をよくすると、被災者の自立が遅れる」という時代遅れの、的外れな根性論が、いつまでまかり通る状態となっている。


 日本に「スフィア基準」のような災害対応の世界のグローバルスタンダードが浸透しない背景として、日本が戦後、まさに”平和ボケ”の反動として紛争を経験してこなかったことが背景にある。


 前述したように、スフィア基準は、ルワンダ大虐殺をきっかけに誕生した。また、実際に紛争を経験していなくとも、欧州は陸続きであり、実際に難民が大量に流入、難民保護の結果としてスフィア基準がスタンダードとなる。


 日本においては、避難所の運営改善は、県レベルの防災担当者の間では問題意識が共有されつつあるといわれるが、しかし市町村レベルではまだまだという。市町村の職員は3年程度で部署を異動するため、問題意識が蓄積されにくいという側面も。


 ただ、いつまでも現場の市町村ばかりに対応を押し付けるわけにもいかない。日本においても災害対応を専門とする省庁の設立が急務だ。