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ロシア軍によるウクライナ侵攻から、まもなく4カ月が経過する。首都キーウでは、日常が戻りつつあるようだ。値段が上がっているもの、しかし食料品は豊富にあるという1。
ただ、燃料不足が深刻。製油施設が攻撃を受けた影響で、多くのガソリンスタンドが営業を休止している。
侵攻直後、ロシア軍がキーウ近郊まで迫ってきたこともあり、いったんは多くの人が街から避難した。しかし、ロシア軍がキーウ近郊から撤退したことを受け、4月ごろから徐々に人々が戻りつつあるという。
だが、戦争は長期化しそうだ。NATO(北大西洋条約機構)のイエンス・ストルテンベルグ事務総長はドイツ紙のインタビューに対し、ウクライナにおける戦争は「数年続く」おそれがあると警告した2 。
ロシア軍は、ウクライナ東部のルハンシク州の最後の拠点とされるセベロドネツクへの攻勢を強め、双方の攻防が激しくなっている。
よく、ウクライナとロシアとの関係を「兄弟のようだ」とする話が出てくる。
そもそもキエフを中心とした現在のウクライナ地域は、「ロシアの発祥の地」といっても過言ではない。ここで生まれた文化とこの地で受容されたキリスト教の正教会が、後にモスクワなど現在のロシアの地に広がっていったからだ。
山中俊之、2022年2月27日3
日本に例えるなら、畿内に発祥した中央政権が、武士の世になり、政治的な拠点を関東に移していったことに似ている。
しかし、日本とは少し事情が異なるようだ。
「日本では、畿内と関東で別の国家となったことはない。畿内と関東で同一民族という点でも異論はない(アイヌ民族など先住民・少数民族の存在は決して忘れてはならないが)。
山中俊之、2022年2月27日
一方、ロシアとウクライナはたもとを分かち、言語も文化も徐々に変わっていったのだ。そして、「弟分」のロシアが強大な帝国になり、「兄貴分」のウクライナを支配した。旧ソ連時代にも、連邦内の共和国として支配を続けた。
この点が、ウクライナから見ると、「弟分のくせに、偉そうに」となる。ロシアから見ると、「自分たちの源流であり、ロシアに近い存在」となる。
そもそも、国民国家とはベネディクト・アンダーソンによれば、「想像の共同体」に過ぎない。そうなれば、想像とは、いとも簡単に崩れ去る。国家の形など、脆弱だ。
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ウクライナとは
ウクライナという国が、大国であることは間違いない。ウクライナはソビエト連邦を構成する共和国であったウクライナ・ソビエト社会主義共和国が、1991年8月24日に独立し、国名の「ウクライナ」とした。
人口や経済的な重要度においても、旧ソ連の中のロシアに次ぐ2位を占め、文化的にも長い伝統を持つ。