衝突は不回避だったのか ロシアのウクライナ侵攻とNATOの東方拡大との関係 ~2~ そしてNATOは拡大する

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WalkersskによるPixabayからの画像 

 NATO(北大西洋条約機構)の冷戦終結後の東方拡大路線が、今回のロシアのウクライナ侵攻の要因のひとつになってしまったことは間違いない。このことは、すでに1990年代から様々な専門家の間で問題となってきた。

 たとえば、米国の冷戦時の外交の基本方針である「封じ込め」政策の提言者であるジョージ・ケナンは、とくに1990年代のNATOの中欧への拡張は、

 冷戦後の時代全体における米国の製作の最も致命的な誤り

とし、なおかつ「NATOの拡大は米露関係を深く傷つけ、ロシアがパートナーになることはなく、敵であり続けるだろう」とした。

 あるいは、ヘンリー・キッシンジャーは、

 ウクライナはNATOに加盟すべきではない。

 ウクライナを東西対立の一部として扱うことは、ロシアと西側、とくにロシアと欧州を協力的な国際システムに引き込むための見通しを、何十年も頓挫させるだろう。

とした。

 1987年から1991年に駐ソ・米国大使を務めたマトロック氏も、

 同盟の拡大というものがなかったら今日の危機はなかった。

 NATOの拡大こそが最大の誤り。

とする論評を書いた。

 専門家だけではない。2月28日の英国ガーディアン紙は、

 多くがNATOの拡大は戦争になると警告した。しかし、それが無視された。我々は今、米国の傲慢さの対価を支払っている

という見出しの下、

 ロシアのウクライナ攻撃は侵略行為であり、最近の行為においてプーチンは主な責任を負う。しかしNATOのロシアに対する傲慢な聞く耳を持たない対ロシア政策は、同等の責任を負う

とした。

 現在、米国とロシアとの間には、戦略的核兵器に関する合意が存在する。それは、大陸間弾道弾に関してのこと。

 そして互いに保有する大陸間弾道弾や発射装置の数を制限することで、もし相手を攻撃すれば自国も確実に攻撃される状況を作りだすことで、均衡さを保ってきた。これを、相互確証破壊戦略という。

 しかし、ウクライナがNATOの加盟国になれば、その状況は一変する。NATOは、ウクライナに中距離と短距離、そしてクルーズミサイルを配備する。

 ただ、ロシアは長距離の弾道ミサイルへの防御網を持っていたが、中距離的・短距離的な防備網は持ってはいなかった。

 ロシアは、新たに中距離・短距離。そしてクルーズミサイルへの防御網を作らなくてはならないが、技術的には不可能に近い状態であり、実行するにしても莫大な資金がかかる。

 このように、ロシアはNATOが東方方面に拡大することに長い間、懸念を持ってきた。

前回までの記事→
衝突は不回避だったのか ロシアのウクライナ侵攻とNATOの東方拡大との関係 ~1~ NATOとは? 

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しかしNATOは、東方へ拡大する


 NATOの拡大は、「東側をどうするか」という議論から始まった。冷戦の終結は、NATOも歓迎するところ。

 しかし、1991年7月にワルシャワ条約機構が解散し、東欧・中央ヨーロッパ諸国の安全保障が一切、つながりをもたないことは問題だった。この地域で何らかの紛争や不安定化が生じる危険性は、十分に予測された。

 さらに1992年8月にモスクワで反ゴルバチョフのクーデター騒ぎがあり、ソ連自体の権力の不安定化が周辺諸国に輸出しかねない。

 そこで考案されたのが、「北大西洋協力理事会(NACC)」であった。これは、1991年に11月にローマで開かれたNATO加盟諸国首脳会議による、「平和と協力に関するローマ宣言」の中で、同年12月に発足させることが提案された。

 それは、具体的には今後、将来にわたり不透明なソ連、東欧諸国の外相、大使、専門家などをNATO側と一堂に会する協議を設け、旧東側全体を安定化させるというもの。ところが、このNACC自体が、すぐさま難局に直面する。

 ちょうど、ソ連が「連邦」として、解体の危機に直面していたのだ。実際、NACCの創設会合は12月20日にブリュッセルで開かれたが、翌21日には現実にソ連は解体、新たに12の独立国が誕生する見込みとなった。

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