モロッコ地震から1週間 地震のメカニズム 支援遅れる 援助受け入れ限定

アフリカ
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SilkeによるPixabayからの画像

 モロッコ中部を襲ったマグニチュード6.8の地震発生から1週間が経過した。死者は約3000人に上るなか、救助隊による生存者に捜索が続く。地震により全壊または部分損壊した住宅は5万戸以上に上る1

 モロッコの王室は14日、被災した各世帯に対し、3万モロッコ・ディルハム(約44万円)の緊急支援金を支給すると発表。また、住居全壊の場合は14万ディルハム、部分損壊の場合は8万ディルハムの支援も行うという2

 今回の地震は、モロッコにおいて過去60年で最大の被害を引き起こした。地震は、モロッコ中部マラケシュの南の高アトラス山脈を震源とする。そのため、山中の村々や人里離れた集落が破壊された。

 そのうちの一つであるテフハフト村では、住民約200人の半数近くが死亡。今も多くの人の行方がわかっていない3

 現地では、素手などでの懸命な生存者捜索が続いているものの、しかし救助に当たる人には疲労がみられる。

 道路は、岩やがれきで通れなくなっており、重機で除去が進められている。上空ではヘリコプターが往復し、援助物資を届けている。

 WHO(世界保健機関)によると、今回の地震の影響を受けた人は、約30万人以上に上った。

 山中の史跡であるティンメル・モスクも大きな被害を受け、世界遺産に登録されているマラケシュの旧市街でも多くの建物が倒壊した。

 現地モロッコでは、1960年に南西部アガディールを襲った地震で1万2000~1万5000人が死亡している。

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地震のメカニズム


 地震は、現地時間午後11時11分ごろ発生。揺れはこの地域全体を襲い、振動はポルトガルの首都リスボンまで届いた4

 マラケシュの被害が甚大だったが、しかし建物の多くは崩れなかった。一方、山中を見渡すと、村の一部は完全に破壊されたところもあった。

 北アフリカのこの一帯は、地震活動は活発ではあるものの、大規模な地震が頻発するというわけでもなかった。しかし、

「今回の地震は、この地域の記録にあるどの地震よりも大きなものでした」

5

と米コーネル大学の地震科学者ジュディス・ハバード氏はいう。

 これほどの被害の背景には、夜中に地震が起こったこと、地震に弱い設計の建物など、複数の要因が存在した5(6)。

「レンガやモルタルなど、補強されていない石造りの建物が地震で崩れやすいことはよく知られています」

「今回の悲劇は、地震において人を殺すのは地震そのものではなく、建物であるという事実を改めて思い起こさせます」

5

と、地震地質学者のウェンディ・ボホン氏はいう。

 北アフリカは、アフリカプレートとも呼ばれるヌビアプレートの上に載っており、ユーラシアプレートに向かってゆっくりと動いている。そしてモロッコは、これらふたつのプレートの境界付近に位置する。

 モロッコは、ハイアトラス山脈を貫くように伸びるものをはじめ、さまざまな活断層が網の目のように絡み合う。そのため、この一帯では小さな地震は珍しくない。

 しかしプレート境界の動きが緩やかなおかげで、大規模な地震は比較的発生しにくいが、それでも大きな揺れはこれまでにも起こっていた。  

 科学者がよく例に挙げるのは、1755年に発生した巨大地震(マグニチュードは不明)であり、死者はおそらく1万5000人。

 もうひとつは1960年に起こったマグニチュード5.8のアガディール地震で、このときは1万2000人が死亡した。

支援遅れる


 被災後、現地では救助活動などの支援が大幅に遅れている。被災者たちは、広範囲に及んだ停電や電話回線の断線に直面し、食料も水も不足しているという。

 さらにイスラム教の儀式で義務付けられている洗浄をする前に埋葬された遺体もあった。

 支援が遅れる理由には、モロッコ特有の事情があった。

 米スタンフォード大学で北アフリカを研究するモロッコ系アメリカ人の歴史家、サミア・エラズーキ氏はインタビューで、政府の「重く管理された中央集権的」機能が災害対応を妨げていると述べる6

「どのような自然災害でも、発生直後の数時間が最も重要です」

7

というが、国王が公式のコメントを発表するのに時間を要した点に触れ、

「本来ならどれだけの命を救うことができたでしょうか」

7

と話す。

 モロッコの国営メディアは、ヘリコプターが遠隔地に援助物資を空輸している映像を公開し、国王モハメッド6世は、「特に孤児や弱い立場の人々」に対し、迅速に避難所を提供し、家を再建するよう政府に命じたと述べる。

 しかし、地震発生以来、同国政府が長らく公式発表を出さず、救助活動に関する情報もほとんど出さなかった7

 死傷者に関する最新情報もまれにしかされず、結果、一部の国民は、SNS上で政府の対応を批判する。しかし、それでももはや”諦めムード”が広がっている。

 近年、同国でもっとも被害を出した2004年の震災時、当時の首相が最も被害の大きかった地域をすぐに訪問しなかったのは、国王が訪問する前に首相が現れないという、儀礼的な決まりがあったからといわれている7

  ちなみに、モロッコの法律では国王への批判は犯罪とされている。

援助受け入れ限定


 モロッコ政府はこれまで、スペイン、イギリス、カタール、アラブ首長国連邦(UAE)からの4か国のみの支援を受け入れている。

  政府は、世界各国の支援チームが突然、モロッコに入ると過度の混乱が生じるとし、その正当性を強調するが、救助に当たる人々の間には疲労がみられ、外国の支援をもっと広げることを求める声も上がっている。

 12日時点で、アメリカ、チュニジア、トルコ、台湾、さらにモロッコの宗主国だったフランスが支援を申し出ている8

  また隣国であるアルジェリアは長年、モロッコと緊張関係にあるが、しかし援助専門体や医療関係者、探知犬、ベッド、テント、毛布などを提供するとする。

 しかし、モロッコ政府は、支援の殺到は混乱が生じるとし、拒否した。

 旧宗主国のフランスのマクロン大統領も地震発生の翌日、フランスの捜索救助隊を派遣する意向を示す。しかし、モロッコ政府は拒否した。

 フランス側では、両国間の冷え込んだ外交関係を理由にモロッコが支援を断ったとの見方が強まっている。

 かつては、北アフリカ一帯にフランスの植民地が広がりっていた。フランスはヨーロッパ諸国のなかでほぼ唯一、アフリカ大陸に常設に軍事基地を構えてきた。

  その目的は、アフリカに暮らす約100万人のフランス人とフランス企業の安全をも守るためとするが、しかしフランスはアフリカ各国の内政や内戦にもしばし介入してきた。

 モロッコもフランスから独立後も政治、経済のあらゆる面で深い結びつきある。しかし近年、モロッコはフランスからの影響を抜けだそうとする。

 モロッコだけでなく、フランスに対する拒絶反応は近年アフリカで強まっており、2020年から相次いだマリ、ブルキナファソ、ニジェール、ガボンなどでのクーデタはいずれもフランス寄り政権の打倒であった。

  1. AP「モロッコ地震発生から1週間、死者約3千人」Yahoo!ニュース、2023年9月15日、https://news.yahoo.co.jp/articles/b1948b5f6dca9c31d46ea26a5f6ec6b4faf07372
  2. AP、2023年9月15日
  3. ルース・カマーフォード「モロッコ地震、外国支援の受け入れ求める声高まる 死者約2700人に」BBC NEWS JAPAN、2023年9月12日、https://www.bbc.com/japanese/66782684
  4. ROBIN GEORGE ANDREWS「モロッコ地震は最悪のタイミングだった、科学者が詳しく解説 「胸が張り裂けそうです」」NATIONAL GEOGRAPHIC、2023年9月13日、https://news.yahoo.co.jp/articles/b3be3100e08a82346cefa5a9a282dcd1320d7721?page=1
  5. ROBIN GEORGE ANDREWS、2023年9月13日
  6. Vivian Yee、Aida Alami、Jenny Grossk「死者増える「モロッコ地震」支援が遅れた最大理由」The New York Times、東洋経済ONLINE、2023年9月12日、https://toyokeizai.net/articles/-/701347
  7. Vivian Yee、Aida Alami、Jenny Grossk、2023年9月12日
  8. ルース・カマーフォー、2023年9月12日
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