カザフスタン騒乱の背景 蠢くロシアと中国 そしてグレート・ゲーム

アジア
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OpenClipart-VectorsによるPixabayからの画像

 年明けから、新聞各紙に「カザフスタン、騒乱」という文字が躍った。

 中央アジアの国・カザフスタンの検察当局は1月15日、燃料価格高騰に抗議する平和的なデモに端を発した騒乱により、225人が死亡したと発表。

 抗議デモは、カザフスタンの歴史ではまれな治安部隊との衝突までに発展、カシムジョマルト・トカエフ大統領は非常事態を宣言。さらにロシア主導による平和維持部隊が派遣されるまでにいたる。

 騒乱は、まず1月2日にカザフスタン西部で燃料の価格高騰への抗議として発生、それが全国に拡大する。4日、北京と冬季オリンピックを争った都市・アルマトイで警官とデモ隊が大規模な衝突。

 翌5日、内閣が総辞職。トカエフ大統領が燃料などの上限価格の自由化を凍結、自ら安全保障会議議長に就任する。6日、大統領が集団安全保障条約(CSTO)に平和維持部隊の派遣を要請。すると7日には、ロシア軍主導による平和維持部隊が展開。

 8日、マシモフ前国家保安委員長を国家反逆罪で逮捕、ナザルバエフ前大統領の甥の副委員長も解任。11日には、大統領が事態の収束を宣言し、平和維持部隊の任務終了を発表。13日には、平和維持部隊が撤収を開始する。

 検察は、

 非常事態宣言下で225人の遺体が安置所に運ばれた。うち19人は警察官と軍関係者だった。そのほかはテロ攻撃に参加した武装した賊徒だが、遺憾なことに民間人もテロ行為の犠牲になった。

とし発表した。

 しかし、旧ソ連邦諸国のなかで「最も安定的」と見なされてきた中央アジアのカザフスタンで騒乱が発生したことに、衝撃が走った。

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騒乱の背景

 1991年のソ連からの独立以降、小規模な衝突やデモなど地方においては散発的な騒乱は起きてはいたものの、ここまで一般の市民らが自ら街頭に出て大規模な騒乱が全国に広がったのは、初めてのことであった。

 カザフスタンは豊富な石油資源を背景に、2000年以降は毎年、平均6.5%の経済成長を記録。GDPも中央アジア5カ国では最も高かった。05年、10年、20年と政変がたびたび起こった隣国のキルギスや独立後に内戦に陥ったタジキスタンとは異なり、内政も安定していた。


 しかしカザフスタンの経済は原油輸出に大きく依存しているため、世界の原油価格の上下とともに、大きく浮き沈みを繰り返す。実際、この前まで世界の原油価格は低下していた。

カ ザフスタンの景気を低迷し、失業者も増えた。とくにカザフスタンもロシアと同様、コロナ渦による大きな被害を受ける。カザフスタンではこれまで100万人以上が新型コロナウイルスに感染し、約1万3000人の死者を出す。

 さらに今回のデモの発端は、西部のジャナオーゼンという都市であった。この都市は石油産業の拠点であるとともに、LPG(液化石油ガス)の産地でもある。今回は、このLPGの値上げをめぐりデモが起きた。

 LPGの価格は国の補助金により安く抑えられてきた。しかし2019年から、LPGは順次、「電子入札」により決めるとされ、今年1月から電子入札が導入。それとともに補助金が撤廃されて、価格が2倍に跳ね上がったことがデモの引き金となる。

 このような背景とともに、ナザルバエフ一族への不満が爆発した結果となる。ソ連末期の1990年から、ナザルバエフ氏はカザフスタンの”独裁者”として君臨。しかし、2000初頭から08年にかけては石油や天然ガスの価格が高騰していたため、国民の不満は薄かった。

 だが、リーマンショック以降は資源価格が低迷し、ナザルバエフ氏に対する不満が高まっていく。そもそも、カザフスタンの現在の首都は「ヌルヌルスタン」であるが、これはナザルバエフ氏の名前に由来する。

 ナザルバエフ氏は政治だけでなく、経済的な基盤も掌握。長女は政治家で上院議長にもなり、議会とテレビ局、銀行を抑え、次期大統領候補を目されていた。次女は石油・天然ガス事業とマスコミを、三女は鉄道と高速道路などの交通・運輸業を抑えていた。

 しかし、今回の騒乱により身の危険を感じたナザルバエフは国外へ逃亡。中国政府は否定しているが、キルギスを通じて中国へ逃れたとも伝えられている。

カザフスタンとは

 周辺の国々にはタジキスタンやウズベキスタンなど、語尾に「スタン」という言葉が付く国々がある。「スタン」とは、土地や領域という意味だ。カザフスタンの国土面積は日本の約7倍。しかしその大部分が草原か砂漠だ。南東部には巨大な農耕地帯がある。

 中央アジア5カ国のうち、カザフスタンは人口ではウズベキスタンの3400万人に及ばないものの、しかしGDPでは断トツの1位を誇る。原油やウランといった資源に恵まれ、独立後には欧米と中国・ロシア資本が入り込み、開発を行った。

 他方、政府は長年、製造業と中小企業の振興に力を挙げてきたが、ほとんど効果を上げてはいない。「一帯一路」を掲げる中国も、原油の採掘に大きく関与しているものの、工業面では何も手を付けてはいなった。

 そのカザフスタンで暮らす上で欠かせないものが、原油の生産により噴出する随伴ガスを液化したLPG(液化石油ガス)で、1リットル30円ほど。値上がりする前は、その半分であった。安いからこそ、生活に浸透しており、現地で走る車の90%にLPGが用いられている。

カザフスタンの歴史

 しかし単にカザフスタンといっても、そのルーツは多様だ。多くの民族が混血した結果である。もともとは遊牧民族が往来していた土地に、ソ連初期、スターリンの時代に1つの行政区画としてまとめられて、「カザフスタン人」としてのアイデンティティが形成された。

 カザフスタン北部は石炭に恵まれ、ソ連の時代にロシア人が大量に流入し、製鉄や発電、紡績などの工業化を実現。フルシチョフの時代には、大学生も動員し農地の拡張を行い、トウモロコシや小麦の増産を行う。

 そのため、現在でもロシア系の人口は18%もいる。カザフスタン系は69%。

 外交面については、ソ連の崩壊以降、ロシアとの関税同盟と経済連合、集団安全保障条約機構とカザフスタンはロシアとの関係を保つ。

 一方で、「全方位外交」を標榜し、石油開発においては米国とEU、中国の資本と取り入れ、中国との深い関係を保ち巨額の借款を引き出している。


 しかしながら、カザフスタンは中央アジア地域の中でも、最もロシア語を話す人が多いが強い地域であり、有力な政治家でもカザフ語でスピーチができない者は多数いる。

 旧ソ連の一員という歴史的背景もあり、ロシアとの関係が深いが、近年は経済力をつけてきた中国との関係も深い。2013年に中国が「一帯一路」構想を発表したのはこのカザフスタンの土地であった。

ロシアとの関係

 ロシアとの関係が深いことも事実。カザフスタン政府は、今回の事態に際し、ロシア主導の集団安全保障条約機構(CSTO)のデモの鎮圧に向けた支援を要請。ロシア軍はこれに応じ、2500名の部隊がカザフスタンに入り、体制の維持に動く。

 トカエフ大統領が”わざわざ”国軍よりもロシアに頼った背景には、国軍を完全に信頼できなかったからだと思われる。国軍の内部にはデモ隊側に寝返った部隊もいたと報じられているが、ナザルバエフ氏に依拠する派閥が自分に対し、刃向かってくることを恐れたかもしれない。

 しかしながら、大統領にしてみれば、国軍よりもロシア軍の方がはるかに信頼できた。ただ、ロシア軍の出動は条約に伴い自動的に動いたものであると思われたが、実際は違った。

 そもそも、アルメニアとアゼルバイジャンがナゴルノカラバフという係争地をめぐって対立しているときに、CSTOに加盟しているアルメニアには、ロシアが軍を派遣していない。

 現に、ロシアの援軍を得られなかったアルメニアは、アゼルバイジャンに敗北した。これまでカザフスタンは、ロシアと中国とのバランスを取るスタイルで動いてきた。

 これまでカザフスタンは、ロシアと中国とのバランスを取るスタイルで動いてきた。だが今回の政変でトカエフ大統領は、明らかにロシアを重視する路線に舵を切った。これにより、カザフスタンから輸出される原油・天然ガスの価格はロシアの指導のもとに置かれる

 これはロシアからもカザフスタンからも原油・天然ガスを購入してきた中国には痛手となる。

残された謎

 騒乱の収束後、カザフスタンを約30年にわたり国を支配してきたナザルバエフ前大統領からトカエフ大統領への権力移行が進んだ。大統領は内閣を事実上更迭し、燃料価格の上限の撤廃を3カ月凍結するなど、デモの鎮静化を図る。

 他方、「国家転覆を狙う、外国勢力を含むテロリスト」が暴動にまで発展させたと主張し、治安部隊による市民らの殺害を正当化。

 しかしながら、自然発生的に始まった抗議活動が、鉄砲店や警察から奪い取った武器で政府庁舎まで襲撃したほど過激化したことには謎が多く、地元メディアや識者の間にはトカエフ大統領の”失墜”を狙った政府内の勢力争いが関係しているという見方が強まった。

 その理由の一つが、騒乱のさなかに起きたマシモフ前国家保安委員長の逮捕。国家反逆罪の容疑がかけられたマシモフ氏は、かつて大統領府長官も務めたナザルバエフ氏の再側近であり、よってトカエフ大統領の失墜を狙い騒動の過激化を謀ったとみられた。

 あるいは、大統領がわざわざ旧ソ連6カ国で構成される集団安全保障条約機構(CSTO)に支援を要請し、ロシア軍主体による「平和維持部隊」が派遣された経緯も謎がある。

 デモ隊の規模からみたら、カザフスタン自身の治安部隊で十分に対応ができるものであり、さらに平和維持部隊は鎮圧には加わっていないからだ。

 トカエフ大統領は、ナザルバエフ氏が務めていた安全保障会議議長にも自らが就任した。これは、自らが権力の完璧な掌握に乗り出したことを意味するという。

 一方、ナザルバエフ氏の秘書官は「ナザルバエフ氏自ら地位を譲った」と主張。しかしナザルバエフ氏は昨年12月末から動静が伝えられていない。重病説もささやかれるが、所在も不明だ。

 このような謎を残したまま、トカエフ大統領は権力基盤の強化を急ぐ。ただ、トカエフ氏は外交官出身であり、国内基盤が弱いとされ、スムーズに権力の移行が進むかは不透明だ。

グレート・ゲーム

 いずれにしろ、ウクライナを含め、現在起きている現象は「グレート・ゲーム」が及ぼしたものであることは、まちがいない。

 注目されるべきは、ロシアと中国の対応である。旧ソ連時代には、核実験場が置かれ、現在でもバイコヌール宇宙基地はいまだ現役で使われている。旧ソ連を構成するカザフスタンは、ロシアにとって「裏庭」と地政学上、呼べる地域。

 ロシアのプーチン大統領は、1月10日に開いたCSTO緊急首脳会議において、

 我々はカラー革命を容認しない。

と語った。

 カラー革命とは、旧ソ連圏で大規模なデモが発生し、独裁政権が崩壊させた数々の政変のことをいう。


 2004年にはウクライナ大統領選の結果に抗議し再投票、および野党側候補の逆転勝利を実現させた「オレンジ革命」や、05年のキルギス議会選挙の結果に抗議して大統領を失職に追い込んだ「チューリップ革命」などがある。

 ロシアとしては、カザフスタンの地で、これらの政変が再現されることは阻止したかった。カザフスタンで親欧米政権が誕生すれば、キルギスタンやトルクメニスタンのような近隣の不安定政権にも波及し、中央アジア全域が”反ロシア”になりかねない。

 中国の対応も素早かった。習近平国家主席は1月7日、トカエフ大統領に電話し、

 中国は、外部勢力がカザフスタンでカラー革命を起こすことに断固反対する。

 と述べ、トカエフ支持を鮮明にしている。

 外交官出身のトカエフ大統領は中国語が堪能だ。ゴルバチョフ政権時代の1980年代半ばから90年代にかけ、北京のソ連大使館での勤務経験もある。

 カザフスタンは、中国が提唱する広域経済圏構想「一帯一路」において、中国と欧州を陸上輸送で結ぶ「中欧班列」が横断する要衝。中国・新疆ウイグル自治区とは南東部で国境を接し、ウイグル族も多数居住する。

 カザフスタンで反中政権が誕生すれば、新疆の情勢にも影響し、ひいては中国国内にも余波が及ぶ可能性も指摘されている。

 ただ、今回の騒乱は、ロシアがウクライナとの国境地帯に約10万人もの部隊を集結させ、軍事侵攻を懸念するアメリカとの協議のさなかに起きた。

 カザフスタンの南には旧ソ連構成国のウズベキスタンやトルクメニスタンを挟み、アフガニスタンがある。

 アフガニスタンでは、19世紀の時代、大英帝国とロシア帝国とが抗争する「グレート・ゲーム」が展開された。グレート・ゲームと名付けたのはパキスタンの記者である。

 今回のカザフスタンの騒乱も、米国とロシア、中国の大国の利害が複雑に絡み合う、一種のグレート・ゲームの様相を示したのだ。

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