TravelCoffeeBookによるPixabayからの画像
要約
ローマ教皇フランシスコが88歳で死去し、死因は脳卒中と心不全であった。世界中で追悼の祈りが捧げられ、各国首脳もその功績を称えて哀悼の意を表明した。
記事のポイント
- ローマ教皇フランシスコが88歳で死去、死因は脳卒中と心不全、持病も影響。
- 訃報は世界に衝撃を与え、バチカンやアルゼンチンで祈りや追悼が行われた。
- 各国首脳も追悼の意を表明し、教皇の功績と影響力の大きさが示された。
4月21日、ローマ教皇フランシスコが88歳で死去した。教皇は死去の前日まで復活祭の行事に参加し、信者たちに祝福を送っていたが、翌朝バチカンの自宅で亡くなった。
バチカンは公式発表で、死因は脳卒中による昏睡と、それに続く不可逆的な心不全であったと明らかに。また、教皇は高血圧や2型糖尿病、過去の肺炎など複数の持病を抱えていたことも影響したと報じられている1。
突然の訃報は、カトリック教会のみならず、世界中の信者や指導者たちに大きな衝撃と悲しみをもたらした。バチカンのサンピエトロ広場では教皇のためにロザリオの祈りが捧げられ、数百人の弔問客が集まって静かに追悼。
フランシスコ教皇の母国、アルゼンチンでも多くの市民が教会に集い、教皇の功績を偲んで祈りを捧げたという。信者たちは「偉大な教皇が亡くなって悲しい」「貧しい人々のために多くの扉を開けてくれた」といった声を寄せ、突然の別れに深い喪失感を表明した2。
各国の首脳や国際機関からも追悼の意が相次いだ。米国のトランプ大統領は「安らかな眠りを」とコメント、イタリアのメローニ首相は「教皇の友情や教えは決して途絶えることはなかった」と述べた3。
フランシスコ教皇の経歴
- 1936年12月17日、アルゼンチン・ブエノスアイレスに生まれる。
- 本名はホルヘ・マリオ・ベルゴリオ。
- ブエノスアイレス大学工業化学技術学校(Escuela Técnica Industrial N° 27)で化学技術者の資格を取得。
- 1958年3月11日、イエズス会に入会。
- 1963年、サン・ミゲルのサン・ホセ神学校で哲学の学位を取得。
- 1969年12月13日、司祭に叙階される。
- 1973年、イエズス会アルゼンチン管区長に就任。
- 1986年、博士論文執筆のためドイツに留学。
- 1992年6月27日、ブエノスアイレス補佐司教に叙階。
- 1998年、ブエノスアイレス大司教に就任。
- 2001年、枢機卿に任命される。
- 2013年3月13日、第266代ローマ教皇に選出される(史上初の南米出身、イエズス会出身の教皇)。
- 「貧しい人々のための教会」を掲げ、社会正義や環境問題、宗教間対話に注力。
- 2015年、回勅『ラウダート・シ』で環境保護を訴える。
- 2019年、ローマ教皇として38年ぶりに日本を訪問し、広島・長崎で核兵器廃絶を訴える。
- 2021年、イラクを歴訪し、イスラム教シーア派指導者と歴史的会談。
- 2025年4月21日、バチカンで死去(88歳)。
Amazon(PR)→
ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書 2100) | 橋爪 大三郎, 大澤 真幸 |本 | 通販 | Amazon
Amazonで橋爪 大三郎, 大澤 真幸のふしぎなキリスト教 (講談社現代新書 2100)。アマゾンならポイント還元本が多数。橋爪 大三郎, 大澤 真幸作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。またふしぎなキリスト教 (講談社現代新書 ...
- ローマ教皇「簡素な墓」望む遺言 – Yahoo!ニュース. (2025). Retrieved 22 April 2025, from https://news.yahoo.co.jp/pickup/6536262
- ローマ教皇「簡素な墓」望む遺言 – Yahoo!ニュース. (2025). Retrieved 22 April 2025, from https://news.yahoo.co.jp/pickup/6536262
- 情報BOX:ローマ教皇死去、各国首脳の反応. (2025). Retrieved 22 April 2025, from https://jp.reuters.com/world/us/GWK55S74BJKR3IPPODWK7OYUTY-2025-04-21/