近年、「文章力」の需要が高まっている。タレントや文化人など著名人が投稿するSNSはもちろん、一般の人までもがこれほどまでに、多くの文章を執筆するようになってきた。
それとともに、SNS上には常に”炎上”が絶えない。炎上は一義的にはその個人の単なる”資質のなさ”に起因するのは間違いないが、それ以前の問題として、文章力のなさにも問題があるようだ。
なぜ、「良い文章」が書けないのか。それは、日本の学校教育において、国語教育が過度に、”文学”に力点を置くがために、より実践的な”書く力”を軽視してきたからに、ほかならない。
他方、欧米では「パラグラフ・ライティング」や「アカデミック・ライティング」という言葉が存在。それらを、たとえば大学生は半年以上かけて学習する。
一方、日本では、そもそも大学生に対する指導でも、「論文の書き方」さえ、まともに教えようとはしない。
近年では学校現場で「論理国語」に関する議論が高まった。これに対し、知識人を自称する人ほど、「文学軽視」であると批判するが、そもそも、当たり前の前提として、「文学」も「論理」も必要である。
この両者を両立なしえない、日本の”学校教育”への問題が、まず提起されるべきだ。
なぜ良い文章がかけないのか
それでは、あなたはなぜ「良い文章」がかけないのか。主な理由は以下の通りだ。