血塗られた世界遺産 誰のための遺産か? ~2~ 世界遺産をめぐる問題 そして”人類共通の遺産”として

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Ron PorterによるPixabayからの画像

 世界遺産の歴史は、エジプトの巨大ダム建設をめぐるヌビア遺跡の救済キャンペーンに遡ることができる。

 1960年代、ナイル川にアスワン・ハイ・ダム建設計画が浮上。しかし、せき止められる膨大な水の中で、有名なラムセス2世が建設したアブ・シンベル神殿が、ダムの中の湖の底に消えてしまうという事態に陥るその遺跡群を守ろうと、ユネスコはその救済を呼びかけ、大きなキャンペーンを張った。

 一方、米国は、19世紀にイエローストーン国立公園を作った自負を持ち、のちにユネスコの諮問機関となる国際自然保護連盟は、世界遺産の条約案の作成を進めていた。

 両者が一体となり、世界遺産が生まれる。

 ただ、近年、世界遺産に登録される数は抑制される。2004年に中国・蘇州で開かれた第28回世界遺産委員会では、新規に登録される遺産物件の審議は毎年最大45件、締結国の推薦は最大2件、少なくとも1件が自然遺産であるとした。

 近年は、世界遺産の「政治」問題化が起きている。もとは、米国は2011年のパレスチナのユネスコ正式加盟に抗議し、分担金の拠出を停止するなど、「ユネスコの事業が偏向している」とし、不信感を募らせていた。

 世界遺産の日本人の熱狂ぶりは異様としかいえなくい。とくに、日本が推薦する案件が審議される予定日の近くともなれば、プレスセンターでは日本語が飛び交い、会場に設置された記者席には、全国紙やテレビのキー局、地方紙やローカル局、通信社の記者は陣取る。

 世界遺産の姿は、ユネスコが謳う、「人類全体の財産」とい理想には程遠い。 西欧を中心とする登録数の地理的な偏重は明確に存在し、アフリカやアジア、南米などの途上国は西欧に負けずと登録の数を追い求め、その結果として、国内の保存管理体制の不備を招く結果となった。

 また、世界遺産は紛争の危機にも直面。タリバンの勢力下にあったアフガニスタンのバーミアンや、ユーゴスビア崩壊後に激しい戦火に包まれた「アドリア海の真珠」、イスラム国が侵攻したシリアのバルミラなど、国際社会がその歴史的価値を叫ぶほど、敵対勢力の攻撃目標や駆け引きの道具ともなる。

前回までの記事→

血塗られた世界遺産 誰のための遺産か? ~1~ 「政治遺産」と化す世界遺産

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世界遺産の歴史

 世界遺産の歴史は、エジプトの巨大ダム建設をめぐるヌビア遺跡の救済キャンペーンに遡ることができる。

 1960年代、ナイル川にアスワン・ハイ・ダム建設計画が浮上。しかし、せき止められる膨大な水の中で、有名なラムセス2世が建設したアブ・シンベル神殿が、ダムの中の湖の底に消えてしまうという事態に陥る。

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