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成長と分配・・・。岸田首相に始まり、今やどの党の党首も訴えるフレーズだ。しかし、「成長と分配」など“現代の先進諸国“を名乗る国なら「やって当たり前」の政策だ。そんなものが選挙の主要な論点になるなんて、周回遅れも甚だしい。
そのうえで、日本はその「分配」の政策に大きな不備があることを指摘しなければならない。典型的な例が、日本のひとり親世帯の貧困だ。
OECD(経済協力開発機構)の中で、日本のひとり親世帯の貧困率の高さは、他国の追随を許さないほど突出して高い。その“ひどさ“は日本の次にひとり親世帯の貧困率の高いトルコの2倍にのぼるほど。なぜ、このような結果になるにか。それは、所得の再分配の「不備」にある。
「所得の再分配」とは本来、収入から税金や社会保険料など徴収し、それを国の社会保障政策の財源に充てて、働けない人や収入の低い人などに対して福祉の充実を図るものである。
しかし日本では、この所得の再分配による貧困の削減の効果が極めて低いうえ、それどころか、所得の再分配が行われることで、かえって貧困に陥ってしまう人が増えてしまう現状がある。
その理由の一つに、所得に占める社会保険料負担の割合が、日本では低ければ低いほど重くなるという性質が挙げられる。
たとえばオーストラリア、イギリス、アメリカなどの国では、子どもが2人以上いる「ひとり親」には、税金や社会保険料が免除され、さらに児童手当のような現金給付がなされ。手厚く保障されている。
対して日本では、健康保険料や介護保険、年金などの社会保険料などについては、所得に応じて一定額を支払わらざるを得ず、所得が低いほど社会保険料の負担割合が高くなってしまう。
つまり、そもそもの「分配」を強く叫ぶ前に「分配」の不備の是正をしなければならないのだ。
さらにいえば、「格差の是正なくして経済成長はあり得ない」ことは、すでに世界でコンセンサスが取れている議論だ。OECEは格差の拡大が経済の成長力を損ねていることを繰り返ししてきた。
他方で、この国では「所得の再分配」を指摘すると、どこからか、「では財源は?」との声が畳み掛けられる。
では聞くが、この一年、日本は多額の資金を使ってコロナ禍に関わらず東京オリンピック開催に明け暮れてきた。「その財源は」どうなったのだ?
先進国で当たり前の「成長と分配」の財源も確保できないのなら、もうこの国は終わっている。
さっさと財政破綻を宣言し、“沈没”してしまえば良いのだ。