英エリザベス女王が死去 チャールズ新国王が即位 「ロンドン橋作戦」 一方、旧植民地アフリカ諸国は複雑 

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LucieによるPixabayからの画像

 イギリスのエリザベス女王が8日、滞在中のスコットランドで亡くなった。96歳。死因は明らかとされていない1。70年余りの在位の期間は、英国君主として最長。イギリス史上最高齢の君主でもあり、存命する世界の君主でも最高齢。

 女王の死去により、王位承継順位第1の長男であるチャールズ皇太子(73)が、新しい国王チャールズ3世として即位した。

 女王は、夏の静養先であるスコットランドのバルモラル城で死去。6日には、城内でトラス新首相を任命したばかり。ただ、王室は8日、女王の健康状態に懸念を示し、医師の管理下に置かれたと発表していた。

 エリザベス女王は、英ウィンザー朝の第4代の君主であるとともに、カナダなどイギリス連邦の元首も兼ねる。英国教会の最高権威者でもあった。

 女王は1926年、のちの国王ジョージ6世の長女としてロンドンに生まれる。47年にフィリップ殿下と結婚、以後、3男1女をもうけた。52年、ジョージ6世の病死にともない、25歳で即位。75年にはイギリスの君主として初めて日本を訪問する。

 1990年代には危機にさらされる。故ダイアナ元皇太子妃の離婚や事故死などにより、王室廃止論も。しかし伝統を維持しつつも、“身近な王室“を目指し改革を進めた。

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ロンドン橋が落ちた

 エリザベス女王の死去にともない、1960年代からイギリス王室や首相官邸が準備してきたとされる行動計画の存在が話題に。昨年9月、アメリカの政治サイト「ポリティコ」が、

「長く秘密とされてきた英政府の作戦、コードネーム『ロンドン橋作戦』が明らかになった」

2

と、その内容入手して詳細に報じる。


 女王に死去に備え、王室や首相官邸、イギリス軍などの限られた関係者が1年に数回、会議を開き、その内容を練っていたという。ポリティコや英紙「ガーディアン」などによると、女王が亡くなる日は「Dデー」と呼ばれる。

 それによると、死去したとき、まず女王の秘書が首相に電話で、

「ロンドン橋が落ちた」

と伝える。これは、イギリスで伝承されてきた歌謡・童謡の「マザーグース」の一節だ3。その後、女王が元首を務める英連邦(コモンウェルス)の諸国などに知らせが届く。

チャールズ新国王とは 人気はいまひとつ


 イギリスの新しい君主となる新国王チャールズ3世は、1948年11月14日ロンドン生まれ。エリザベス女王の長男である。ケンブリッジ大学の卒業。

 71年〜76年には空軍と海軍に入隊、パイロットの訓練を受けた。81年に故ダイアナ元妃と結婚後、2男が誕生した。96年に離婚。2005年にカミラ王妃と再婚する。

 チャールズ新国王は、「ピープルズ・プリンセス」(国民のプリンセス)とも呼ばれ世界中で愛された故ダイアナ元皇太子妃との離婚問題に加え、政治的な介入への懸念も英国本土では根強く、人気はいまひとつ。

 チャールズ新国王への支持率は長年、5割台前後。エリザベス女王は、ほぼ8割以上の支持を保っていた。政治的中立を常に保ってきた女王に対し、新国王は英王室の慣習を破り、環境問題などで政治的な発言を行う意向だとも。

 また中国についての問題においては、チベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマ14世を支持。15年10月に習近平国家主席がイギリスを訪問した際には、バッキンガム宮殿で開かれた女王が主催した公式の晩餐会を欠席した4

 英王室では古くから愛人や離婚などのスキャンダルは絶えなかったものの、女王は無縁だった。そのことも、新国王は比較される。

一方、アフリカ諸国の思いは複雑

 イギリス本土では悲しみに包まれているものの、しかし英連邦内ではさまざまな動きがある。

 本土では、エリザベス女王が逝去したことを受け、今後、紙幣や硬貨のデザインが変更される。今までは女王の顔が紙幣や小銭に描かれてきたが、これからはチャールズ新国王の肖像画に変更される。

 ただ、旧植民地としての歴史も抱えるアフリカ諸国の反応は複雑である。女王が即位した1952年当時はまだ、アフリカ大陸の多くの地域がイギリスの植民地として女王の統治下に。

 57年にガーナを皮切りに、14の国が独立を果たしたものの、しかし女王はコモンウェルスの首長として、各国との関係性を維持しつづけ5

 女王は基本的には政治には直接的には関与しない”象徴的な”存在ではたるものの、旧英国植民地の人々にとっては、女王の存在はその残忍な植民地統治の象徴であり、“負の遺産“の象徴でもあることは確か6

 たとえば、1952年にケニアで勃発した英国統治に対するマウマウ族の反乱に対して、イギリスの植民地政権は15万人ものケニア人を収容所に入れた上で、去勢や性暴力を含む過激な拷問を行った。

  1. ロンドン=共同、西日本新聞9月10日付朝刊
  2. 篠田航一「暗号は「ロンドン橋落ちた」 女王死去に備えた英国の綿密な作戦」毎日新聞、2022年9月12日、https://mainichi.jp/articles/20220911/k00/00m/030/023000c
  3. 篠田航一、2022年9月12日
  4. ロンドン=共同、西日本新聞
  5. NewSphere「「植民地統治の象徴」エリザベス2世の負の遺産 アフリカ人が抱く複雑な思い」2022年9月15日、https://newsphere.jp/culture/20220915-1/
  6. https://edition.cnn.com/2022/09/10/africa/colonialism-africa-queen-elizabeth-intl/index.html
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