本当に「野党共闘」は問題だったか? 20年・30年先の政治を考えた議論を

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 10月31日投開票の衆院選の結果を受け、「野党共闘」の見直しの動きが強まっている。

 新聞では、産経新聞(11月1日付)で「立憲「共闘」失敗」「野党共闘は不発に終わった」と報じ、朝日新聞も、「立憲後退、共闘生かせず」と書いた。

 読売新聞は、「基本政策の不一致を棚に上げにしたままの野合だと見透かされた結果」「立民が次第に共産に溶け込み、左傾化していったことで、立民支持層の離反も招いた」「政策を無視した共闘では支持が広がらなかったことを肝に銘じるべきだ」なども書いた。

 テレビのワイドショーでは、田崎史郎氏が、「なぜ立憲が負けたかというのは、共産党と組んですごい左のほうに振れてしまったのが失敗」と発言。橋本徹氏も、「大阪は野党共闘がなくても自民を壊滅させた」とした。

 共同通信が行なった緊急世論調査では、候補者を一本化した立憲民主党など5野党の共闘関係について、「見直した方がいい」と答えた人が61.5%にのぼり、反対に「続けた方がいい」と答えたのは32.2%にとどまる。

 立憲民主党の内部からも、「政策や理念が異なる政党との協力は以前からの支持層の反発を招いた」と見直しの意見が出たほか、泉健太正調会長も、「衆院選結果を踏まえ、再検討するのは当然だ」と発言した。


 しかしながら、実際はどうか。石原伸晃氏や、甘利明氏、現役の閣僚であった若宮健嗣、初代デジタル大臣である平井卓也氏といった大物議員が小選挙区で敗れたのは、野党共闘の一定の成果があったといえるし、立憲民主党にかぎっても、小選挙区では公示前の48議席から57議席に増やした。

 他方で大阪を見れば、今回の選挙で維新は公明党と選挙区を調整、事実上の「維新共闘」が見られたものの、それを批判するメディアは皆無だった。

 さらにいえば、読売新聞(11月4日)で「衆院選小選挙区 自民当選者 2割が辛勝」という記事を掲載した。

 その記事では、「今回の衆院選では、自民の小選挙区当選者の約2割に当たる34人が、次点候補との得票率の差が5ポイント未満だった。政権復帰した12年は17人だったが、14年は22人、17年は27人と、選挙を重ねるたびに増えている」「時点候補との得票率差が10ポイント未満で当選した自民候補は59人だった。自民候補が5ポイント減らして次点候補が5ポイント伸ばしていれば、自民候補は小選挙区で59人が敗れていた計算になり、自民単独で過半数となる233議席を確保できなかった可能性もあった」と書いた。

 つまりは、60近い選挙区でわずかな差まで自民候補を追い詰めていたため、場合によっては自民の議席が単独過半数に届かないシナリオもあった。

 そもそも、この「野党共闘」が十分に脅威であったことは、自民党も認めている。読売新聞の記事でも、「自民幹部も野党の候補一本化について『一定の効果があった』と認めざるを得なかった」としており、自民党のネット戦略にかかわり、情報調査局長も歴任した平将明氏が、4日放送の「報道1930」(BS-TBS)で今回の衆院選について、

自民党は結果的には良い数字を獲れましたけれども、現場で戦っている人から見ると、立憲と共産党の統一候補というのは、大変な脅威でした。今までと緊張感が全然違う。最後競り勝ちましたけど、どっちに転んでもおかしくなかった。ギリギリのところ30カ所ぐらい、たまたま我々が勝てた。

立憲と共産党の共闘の見直しみたいな感じがあるみたいですけど、我々からみると、すごい脅威でしたね。

と述べた。

 事実、選挙戦では、麻生太郎副総裁や安倍晋三元首相、岸田文雄首相、さらに公明党の山口那津男代表をはじめとする与党幹部や、日本維新の会の松井一郎代表まで、野党共闘を、「共産党を政府に関与させていいのか」「立憲共産党」などどのネガティブキャンペーンを繰り広げた。

 さらに近年では、「野党は批判ばかり」との声があちらこちらで出ている。だが、野党による「野党合同ヒアリング」において、自民党幹事長に就任した茂木敏充氏が経済再生担当相だった時に持ち上がった線香配布といった公選法違反疑惑をはじめ、「裁量労働性の対象拡大」に関する捏造・虚偽のデータ問題、森友公文書問題、「桜を見る会」、中小・個人事業者向けの「持続化給付金」の給付作業を国が業務委託している法人が電通のトンネル法人だったこと、「日本学術会議任命拒否」問題など、さまざまな野党の批判があったからこそ、それらが国民の目に晒されるきっかけとなった。

 問題なのは、これだけの自民党の“負のレガシー“が戦後、一貫して野放しになりながらも、いまだ与党で居続けることができる脆弱な政治システムのなせる技であり、「批判だけの野党」というのは一切、当てはまらない。

 そもそも、自民党でさえ、まだ十分な“野党経験“を経てきたとはいえず、もし野党に転落したときに、このように与党を批判できる能力があるかどうかさえ、疑わしい。

 2000年ごろに、自自公連立など、揉めに揉めた自民党と公明党の連立の歴史から見れば、野党共闘などまだはるかに歴史が浅い。すでに、自民党は公明党との“共闘“なくして与党となる力はない。

 今後、20年、30年スパンで日本の政治を考えていなければならない。だが、その前に日本が“沈没“するだろうが。