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16日、自民党の茂木敏充、公明党の石井啓一両幹事長は東京都内で会談し、LGBTなどの性的少数者への理解増進法案について、自民党と公明党で修正合意した与党案を州内に国会へ提出する方針を固めた。
2021年に与野党の実務者で一致した法案を提出する意向を表明する。
一方、立憲民主党の岡田克也幹事長は、
「修正は改悪だ」
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と厳しく批判。
与党は、19日から開かれるG7(先進7カ国首脳会議)サミットを前に国会へ提出し、性的少数者の権利保護に消極的だとの批判をかわす狙いだ。
ただ、今回の与党案は、2021年に与野党の実務者で合意した法案の「差別は許されない」との表現を、「不当な差別はあってはならない」と変更。
「性自認」との文言も、「性同一性」に置き換えた。安倍晋三元首相の国会答弁で使われた言い回しと同一であり2、保守系の議員は理解を示す。
しかしながら、当事者や支援者からは理念の後退を懸念する声が上がっている。国会内で開かれた集会で、性的少数者の支援団体「fair」の松岡宗嗣代表は、
「議論すればするほど内容が後退していく。このままでは理解増進法ではなくて、差別を増進するような法律になってしまう」
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とする。
玉虫色決着 強引幕引き
自民党と公明党で合意した修正内容は、野党を含む2年前の超党派の合意案を踏襲しつつ、差別についての記述の見直しや、「性自認」の文言の変更、独立した項目だった「相談体制の整備の削除」といった修正を加えた。
自民党は「意味は変わらない」と主張するものの、識者は法的な実効性を低下させると危惧する。
自民党が主導した修正は、「差別は許されない」とする記述の見直しだ。法案の第一条(項目)であった文章を全面的に削除し、三条(基本理念)において「不当な差別はあってはならない」と変えた。
このことについては、「許されない」のままでは禁止規定とみなされ、それを根拠とした訴訟を起こされかねないとする保守派議員の懸念を踏まえたもの4。
追手門学院大学の三成美保教授(ジェンダー法)によると、「不当な差別」という表現は、2016年に成立したヘイトスピーチ解消法で使われている。
憲法学では、「合理的な区別」と「不合理な差別」を分けることが通説であり、不適切とまでは言えないとのこと5。
ただ、
「何が正当で、何が不当なのかという範囲を明確にしなければ恣意的な法解釈がなされる恐れがする」
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と危惧する。
自民党、宗教保守に配慮
自民党がLGBT法案に強く反対する背景には、旧統一教会や神道政治連盟など「自民党保守派と宗教右派との強いつながり」という実態が背景にある。
昨年7月、埼玉県で「性的施指向や性自認に関する差別禁止」を明記したLGBT条例が成立した。
しかし、その過程で、神社本庁の政治団体である「神道政治連盟」の埼玉県本部が、下部組織に対し、
「LGBTQは何れも、精神疾患であることが明らかになりつつある」
「行動療法や宗教などで『治癒』する」
などと記載した文言を送り、反対意見を投稿するよう呼び掛けていたことが分かった。文章を作成したのは、「神政連中央本部の幹部」であったという。
自民党埼玉県議の中には、条例をめぐって、
「差別禁止にされると、神社に同性カップルが来た時に断れないじゃないか」
という苦情も寄せられたとも。
昨年6月には、自民党議員の大多数が参加する「神道政治連盟国会議員懇談会」で性的少数者を差別するかのような冊子が配布。そこには、
「同性愛は心の中の問題であり、先天的なものではなく後天的な精神の障害、または依存症です」
「(同性愛などは)回復治療や宗教的信仰によって変化する」
などの差別的な内容が多数掲載されていた。
結局は”外圧”でしか変われない日本
修正案にも反発していた議員が、
「乗り込んでいって思いの丈をぶちまける」
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とまで息まくものの、自民党の最高意思決定委員会である総務会は16日午前、何の混乱もなく修正案を了承し、40分足らずで終了した。明確な反対意見も出ず、「全会一致」での決定でもある。
結果としては、修正案が、
「十分に骨抜きになった」(安倍派幹部)
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ことを印象付ける。
そもそもの発端は、同性婚の法制化をめぐる岸田文雄首相の「社会が変わってしまう」という2月の国会答弁だ。
対応の中で、更迭された首相秘書官の「隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」という発言が飛び出たことで、首相が法案の提出を準備するよう、茂木官房長官に指示した。
さらに4月にはエマニュエル駐日米大使が、日本の取り組みを、
「米国の大使として、個人として気にしている」
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と自民党に対し、“外圧”を仕掛けた。
G7サミットでは、性的少数者の権利擁護や保護も議題の一つ。ジャニー喜多川氏の性加害問題と取り上げた英BBCからの“外圧”といい、今回のLGBT法案といい、所詮、日本は“外圧”でしか自らの社会構造を変えられないのだ。