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10月31日投開票の衆院選の結果を受け、立憲民主党の枝野幸男代表は辞任を表明、11月12日、両院議員総会で辞任が了承された。
両議院総会の冒頭、枝野氏は、
この1年ほど、私なりにできることは最大限できたが、衆議院選挙で、多くの仲間にこの場に来ていただけない結果になったことは残念で、申し訳なく思っている。
とあいさつした。他方で、
私たちの目指すものが否定されたとは思っていない。あくまでも私の選挙戦術や党運営が力不足だった。新しい代表のもとで、必ず政権を獲得して、私たちの目指す社会を作っていくよう一致結束して進んでもらいたい。
も呼びかけた。
後任を決める代表選挙は、党員なども参加し、11月19日告示、30日に国会議員の投票と党員などの投票結果も合わせて、新しい代表を選出することとなった。
代表選に立候補したのは、逢坂誠二議員、小川淳也議員、泉健太議員、西村智奈美議員(届出順)の4人。年齢的には、最年少の泉議員が47歳、最高齢の逢坂議員が62歳となる。
1996年に鳩山由紀夫氏、菅直人氏らが最初に「民主党」を結党してから25年、そして2017年の衆院選直前に小池百合子東京都知事らが「希望の党」結党の動きに反発して枝野氏らは立ち上げて4年目の代表選となった。
目次
- 代表選の仕組み
- 候補者
- 代表選の情勢
- 今後の立憲民主党に求められるもの
代表選の仕組み
今回の代表選挙は、先ごろ行われた自民党総裁選と同じく”フルスペック”での選挙となる。党所属の国会議員のほか、国政選挙の公認候補予定者、地方議員、党員・サポーターによる投票で争われる。投票は、ポイントに換算して集計される。
衆参両院の国会議員140人は1人2ポイント、現在6人いる国政選挙の公認候補予定者にも1人1ポイントが割り当てられる。
また、全国1200人あまりの地方議員に143ポイント、党員・サポーターにも同じ143ポイントが割り当てられ、得票数に応じて、ドント方式で候補者にポイントが配分される。
これらを合計した572ポイントのうち、過半数を獲得した候補者が、新しい代表に選出される。
投票は、国会議員と公認候補予定者が11月30日の臨時党大会で、地方議員と党員・サポーターには11月29日締め切りで、事前に郵送・インターネットを通じて行われる。
なお、過半数のポイントを獲得する候補者がいなかった場合には、上位2人による決選投票が行われる。
決選投票の場合、国会議員に1人2ポイント、公認候補予定者が1人1ポイント、各都道府県連の代表者に1人1ポイントを割り当てる、合計333ポイントで争われる。
19日に告示された代表選は、11日間の選挙戦で争われる。19日(金)の告示後、翌20日(土)の党員・サポーターや女性議員が参加するオンライン集会、22日(月)の日本記者クラブ主催の討論会の後、29日(月)に投票が締め切られ(事前に郵送やインターネットで投票)、30日(火)に投開票され新しい代表が選出される。
候補者
候補者は、届け出順に以下の通りだ。
逢坂誠二氏
衆議院北海道8区選出の当選5回で、62歳。北海道ニセコ町の職員を経て、1994(平成6)年に35歳でニセコ町長選挙に初当選。以後、3期11年務めた。
町長時代には、「情報公開」と「住民参加」を原則とする「まちづくり基本条例」を制定した。
その後、2005(平成17)年の衆議院選挙で、当時の民主党から比例代表で立候補して初当選した。
自民党が下野した後の民主党政権時代には、総理補佐官などを務めた。4年前に所属していた民進党が分裂、逢坂氏は希望の党には参加せず、直後に行われた衆院選では無所属で立候補し、当選を果たした。
その後、旧国民民主党などと合流前の立憲民主党では政務調査会を務めた。
小川淳也氏
衆議院香川1区選出の当選6回の50歳。旧自治省(現総務省)を経て、2003(平成15)年の衆議院選挙に民主党から初めて立候補したが落選。だが2年後の衆院選で、比例代表で復活当選し、初めて議員となる。民主党政権下では、総務政務官などを務めた。
4年前の衆院選直前に所属していた民進党が分裂し、希望の党に参加。その後、無所属となり昨年9月、今の立憲民主党に参加。
10月の衆院選、自民党の現職閣僚と戦い、勝利し、12年ぶりの小選挙区での議席獲得となった。昨年は、自身の政治活動を追ったドキュメンタリー映画が公開され、話題となる。
泉健太氏
衆議院京都3区選出の当選8回で、47歳。幹事長を務める福山哲郎氏の秘書などを経て、2003(平成15年)の衆院選で当時の民主党から立候補、29歳で初当選。
民主党政権下では、内閣府政務官などを務める。4年前の衆院選では、直前に所属していた民進党が分裂し、希望の党から立候補。
その後、旧国民民主党の国会対策委員長や政務調査会長などの要職を務め、昨年9月に立憲民主党との合流に参加し、代表選挙に立候補した。
西村智奈美氏
衆議院新潟1区選出の当選6回で、54歳。新潟県議会議員を経て、2003(平成15)年の衆院選で当時の民主党から立候補して初当選を果たす。
民主党政権下では、厚生労働副大臣や外務政務官を務めた。4年前に所属していた民進党が分裂したときには、希望の党へ合流せず、衆院選直前に発足した立憲民主党に参加。
以後、党内ではジェンダー平等推進本部の本部長などを務め、女性の政治参画やジェンダー平等を訴えてきた。
代表選の情勢
10月の衆院選の結果により、立憲民主党に所属する国会議員は衆議院96名、参議院44名の140名にまで落ち込んだ。
代表選に立候補するためには、現職の国会議員の20名以上の推薦人を集めなければならず、しかし、すでに4名が立候補した段階で、早くも接戦になる見通しとなった。
4候補は、最高齢の逢坂氏が5期で62歳、小川氏が6期、47歳で最年少の泉氏が8期、西村氏が6期であり、今回の代表選は主に中堅クラスであり、かつ4候補とも民主党政権下で副大臣や政務官を務めた経験がある。
また22日に行われた討論会での「衆院選での共産党との共闘は間違っていたと思う方は?」との質問に、4候補とも手を挙げなかったことからもわかるように、4候補ともに共闘路線は間違っていなかったとの認識を示した。
このような考えにいたる背景には、党内で「今の党の実力を考えれば共産党の票がなければ勝負にならない」という考えが、いまだ主流にあるためだ。
あるいは、2013年に行われた参院選で旧民主党が候補者の調整をせずに臨んだ結果、1人区で全敗したことが、“トラウマ“になっているという指摘もある。
だが、前提となる共産党を含めた「共通政策」への今後の対応には、逢坂氏が「引き継がれるものではない」、小川氏が「いったんは整理して政策を議論することが前提だ」とする一方、泉氏・西村氏ともに共通政策を有効であるとの見解を示した。
立憲民主党の支持層の拡大については、候補者の中でも「中道寄り」とされる小川氏・泉氏が穏健保守や中道層を積極的に取り込む考えを強調、「リベラル」寄りとされる逢坂氏も「ウイングを広げないと政権交代できる立場にならない」と主張した。
しかし、同じく「リベラル」の立場の西村氏は、衆院選で躍進した日本維新の会については、「私の考えとは相容れない」とし、「ウイングを広げることで(自分たちの)立ち位置が揺らいでしまうのでは」と若干の温度差をにじませた。
他方、4候補ともに基本的な政策での違いは見られなかった。若干の違いがあっても、討論会では「目指す方向はほぼ同じだ」「そんなに違いはない」という言葉が相次ぐ。
今後に向けての党の立て直しについても、各候補者からは地域での地道な活動の必要性や、党のビジョンを明確にするといった案の提示にとどまった。
そのため、やや盛り上がりのかける代表選であることも事実であり、関係者は「党の危機なのにみんな行儀が良すぎる。もっと白熱した議論をしなければ代表選の意味がない」との声もあった。
最新の情勢では、泉健太氏が国会議員票でリードしているという。だが、各候補者とも地方議員、党員・サポーター票のポイントを含めても1回目の投票で過半数を獲得する候補はいないと見られており、決選投票に持ち込まれる見通しだ。
泉氏は、自らが率いる「新政権研究会」(約20人)と、15人ほどの小沢一郎衆院議員のグループを中心に支持を固めた。いずれも旧国民民主党の出身者が多い。
小川氏は、約10人の野田佳彦元首相のグループや、特定のグループに所属していない議員などの28人から支持を得ている。
西村氏は、15人ほどの菅直人元首相のグループ「国のかたち研究会」を軸に24人の支持を取り付けている。
逢坂氏は党内最大のグループ「サンクチュアリ」(25人程度)を中心に22人の支持を固めた。
なお、西村氏・逢坂氏ともにリベラル系議員が多く名を連ねている。
今後の立憲民主党に求められるもの
枝野氏の辞任を受け、粛々と代表選が行われてはいるが、票を投じるのは党所属の国会議員のほか、国政選挙の公認候補予定者、地方議員や党員・サポーターであり、その形は先ごろ行われた自民党総裁選と何ら変わりない。つまり、自民党と差別化するという視点が欠けているのは明らかだ。
そのうえで、立憲民主党問わず、野党側が、もはや日本の政党政治において、「二大政党制の実現」というのは幻想であるという認識を持たなければならない。
日本の国政選挙において、衆議院では比例代表制が併立した選挙制度、参議院では3年に1度の半数の改選を行う以上、野党第1党が一気に単独政権を樹立することはもはや不可能であり、おのずと他党との連立政権になるのは必須条件である。
それならば立憲民主党も、これからも共産党との連立内閣を視野に入れた将来にわたる構想を練り、10年、20年先の日本政治のビジョンに基づいた選挙協力をしていかなければならない。
事実、これまでの新進党や希望の党は、共産党を除外した二大政党制の実現を目指して結党されたが、いずれも失敗に終わった。
民主党政権も、連立相手となった社民党が政権から離脱したことが崩壊にいたる一因となった。
さらに、立憲民主党には、「野党は何でも批判」という的外れのネガティブキャンペーンに対し、断固たる批判をし、国民からそのような意見を取り外さねばならない。
そもそも、日本政治における“デフォルト“設定の状態が自民党であるのは明白な事実だ。
自民党は、GHQによるアメリカの占領後に結党され、その結党の裏には共産主義や左派勢力の台頭を恐れたCIAの動きがあった。
つまり、一応、日本は「民主主義国」であるが、結果的に選挙で選ばれるのは、事実上、「自民党」一択であるという“デフォルト“設定が、戦後長らく続いている。
このようなデフォルト設定は、例えば南米の国々でもあったが、南米ではそれが解除されるとアメリカは軍を動かし、場合によってはクーデターを起こすまでに至った。
東アジアでも、韓国や台湾ではそのようなデフォルト設定が続いていたが、冷戦が終わり、両国共にデフォルト設定を解除していった。つまり、日本だけがデフォルト設定を解除できずにいる。
さらにそれに拍車をかけるのが、1940年代の戦時体制下で作られた「メディアのデフォルト設定」であることから、余計に政治の設定を変えるのが難しくなる。
戦前、日本には各地に多くの新聞社があったが、戦時下の統廃合により現在の新聞社の数になり、それ以降、戦争が終わっても新聞社の数は変わっていない。
さらに田中角栄の下、新聞社が各地に系列となるテレビ局を創設、その結果、「メディアのデフォルト設定」はますます強化された。
そもそも、諸外国では独占禁止法や言論の自由の多様性の観点から、テレビ局と新聞社との系列化は基本的に認められないのにも関わらず、だ。
メディアに関わらず、このようなデフォルト設定はどの産業にも存在する。そのような設定が、長時間労働やジェンダー差別といった日本特有に問題を生み、そして日本の衰退をもたらす要因となった。
政治を行うという行為は、別に投票に行くことだけではない。現在、暮らしている半径50mの社会状況を地道に変えて行く行為も、立派な政治活動だ。
いまだ日本の政治は、そのスタートラインに位置しているのだ。